ツタンカーメンの「太陽と月の胸飾り」
ここには二つの対比するものが配されています。
太陽と月、ロータスとパピルス、上エジプトと下エジプト。
陰陽の例を引くまでもなく、様々な対比の中でつり合いを取って生きている私。
この中央に配されたスカラベの後ろ脚の左右の差に最初は気付きませんでした。
他は左右対称のデザインだから、当然、一緒かな、と思い込んでいたので。
でも、何度か見ているうちに、その違いに気付いた。
アクセサリーの方も、ちゃんとこの細かい差を表現していたところが素晴らしい。
左はロータス、右はパピルス。
どちらも、茎の長い植物、という意味では同じだけれど、全く違うものです。
左腕と右腕も、「腕」という意味では同じですが、その機能、役割は全く違うのかもしれません。
・・というか、実はそう思っている・・
それなのに、まだまだ実際にフルートを構える時には、左右を同等に、バランスを取ろうとして構えていたことにようやく気付いたのでした。
三点支持の呪いは根深い。
楽器を構え、掲げてかつ指を動かす。
この矛盾をどうするか。
固めちゃいけません。掌の上の傘(時にフルート)や、お手玉のような、つり合いを常に取り続ける動きの中で、演奏しましょう・・
てな提言をしてきたものの、実際には、まだまだ「二本の腕で楽器を持つ」という頚城から解放されていなかったのでした。
「両方の腕を同等に使う」という無自覚の刷り込みが邪魔していた。
結果、それは無自覚なふんばりとなって、楽器の響きや、指の動きを阻害していた。
昔よりは減ったとはいえ、まだまだ楽器にしがみついていたのでした。
本当に「無自覚」って怖い・・
左腕と右腕、左足と右足、左半身と右半身・・
バッハタッチ歩きにも通じる左右の軸を交互に入れ替える動き、というのがいつの間にか、固定されてしまっていた・・
なんのために左右があるか?
片方ずつ使えば便利だからじゃないのか?
そして、何十年も前から知っているオーレル・ニコレの教え。
師匠から聞いたのか、講習会で聞いたのか、はうろ覚えですが・・
「右手を動かす時には左手で、左手を動かす時には右手で楽器を持てばいいんだよ」
という意味の・・
様々なメソードが教師が「三点支持」と言っている中、この言葉は斬新だった。
当時は、「面白い!そりゃそうだ!」と感動したものの、結局、それが血肉になることはないまま、今日まできてしまったけれど。
このスカラベの脚のお陰で、この秘伝とでもいうべき深い教えが思い出され、ようやく実践へと辿り着けたのでした。
もちろん、それはそれほど単純なものではなく、身体の重心移動なども含めての「持つ」なのですが。
それにしても別世界です。
・・・まだまだ、ふんばってたんだなあ・・・私・・
という訳で、来週28日の楽譜全てに、「左・右」の書き込みを入れ、全曲さらい直していました。
本当は今日は、ゆっくり休む日のはずだったのに、もうそんなことは言っていられない。
左の指を使う箇所には「右」、右の指を使う箇所には「左」の書き込みを。
「持つ」というより、重心移動、といった感じか。
こんなことが出来るようになったのも、脚や、何よりも「おなか」の踏ん張りがなくなったからこそ、と思う。ふんばってたら、出来っこない。
それにしても、手、腕のふんばり、本当に無自覚でした。
何が違うって、出てくる音の響き、輝きも違えば、息が身体を通る時の心地よさも違うし、何より、急に指がまわるようになって、びっくり。
「本来動くはずのものを阻害している要因を取り除くことこそが大切」
と昔、連載に書いたことがあるけれど、まさに、それ。
今は、まだ楽譜に「左」「右」と書き込む必要性があるけれど、これがもっと馴染んでくれば、きっと、勝手に身体がそのように動いてくれるのではないか、と思う。
集中した4時間の練習でしたが、以前よりも疲れていないのは、この手、腕のふんばりが減ったおかげかもしれません。
・・もし財力があるのなら、全て録音、録り直したい・・
キリがないので、やらないけれど・・
ガックリではありますが、と同時にこうした大きな進化が出来ることが本当に楽しく、面白いです。
だから、中々やめられない・・ああ・・
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