1月のリサイタルから早5か月。
久々の合わせ練習でした。
やはり、このお二人、砂原悟さん、山本徹さんと合わせると、一人だけでは出せなかった音がどんどんと勝手に出てくる。
練習ではあるけれど、私にとっては、至福のひと時です。
リハーサル室の小さな、状態も決して良くないグランドピアノから、なんであんなに素敵な響きが生まれるのだろう?
リサイタルと同じ曲ですが、またすっかり別物の仕上がりに。
このリハの最中に、リペアマン綾部さんにもご足労いただき、念のためのリペアを。
最高の共演者、最高の楽器、最高の録音スタッフ・・・
これでうまくいかなかったらバチが当たるというものです。
来週の録音、楽しみです。
・・・・・
本来、一期一会の生演奏が身上の音楽。
それを小さな銀の円盤に閉じ込めてしまうとことには、やはりいくばくかの後ろめたさがあります。
でも、私が死んだ後でも、記録されたロットの音、そして素敵な共演者たちの音、アンサンブルが残る。
CDを創るのって、ミイラにしてもらうのと似ているかも。
実際の演奏はその場限りで消えてしまうものだけれど、そのスピリッツを残し伝えるもの。
エジプトでは、霊魂はカーとバーという二つに分かれていて、バーはあの世に飛んでいくのだけれど、カーはこの世にとどまっていて、ミイラとなった肉体に戻って復活するのだそう。
このカーの考え方って、ドッペルゲンガーの源流かもしれません。面白い。
いわばCDは私達のカー?
実は帰国後、ずっとエジプトにどっぷりで、すっかりエジプト熱に罹ってしまいました。
その情熱は日ごと増していく。
様々なエジプト関係の本を読み漁っていました。
西洋文明の源流はギリシャ、それをさらにさかのぼるとエジプト文明に。
(フランス音楽の異国趣味のベースにも、ナポレオンのエジプト遠征以降のエジプト熱の影響が、しみ込んでいる気もする。)
何より、特に南のアスワン、アブシンベルの空気にやられてしまった。
雑味のない、澄み切った美味しい空気と雲一つない青空。
これを知ってしまうと、今まで「普通」と思っていた空気がとたんに重苦しく感じられて、なんだかなあ、という気分に陥っていました。
限られた人生。
せめて人生の残り時間は、可能ならば、上エジプトで、ただただ美味しい空気を吸って暮らすことを目標にしたいなあ、と思って、そのためにはどうすればよいのか?なんてことばかり考えていたのですが・・・
でも、エジプトには、砂原さんも山本さんも居ないんだよなあ、と思うと、やっぱり日本がいいか、とちょっと思い直したりもした本日でした。
第一、エジプトにはリペアマン綾部さんも居ないので、ロットが吹けない。
こんな緻密なビンテージフルート、自力での調整なんで絶対無理。
・・・みんなでエジプト移住・・・・ってだめかしら・・・?
ログインしてコメントを確認・投稿する