またまたエジプトがらみのお話ですが・・
「口開けの儀式」
というのがあります。
神官が曲がった棒の様な(ちょうな?)器具を使って、ミイラの口、目、耳、鼻などに触れ、それらを開けるという儀式。
それによって、ミイラは再び、五感を取り戻し、会話したり、食事をしたりできるようになる、というものです。
ツタンカーメンの王墓の壁画には、後継者となったアイによるツタンカーメンの口開けの儀式が描かれていました。
でも、当時、アイはかなりのお爺さんのはず・・
随分と若いイケメンに描かせたものだ・・と少しあきれていた。
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今回の変化は、私にとっての「口開け」だった。
これによって、響きが増したのも嬉しいことですが、全ての感覚も、今までのものとは別物に変化。
フルートによる「口開け」
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フルートを口元にあてる。
この「あてる」という言葉によって導かれる動きというのは、個々に異なるものなのだろうか?
ということを、ここ数日考えています。
三点支持でフルートを安定させる、ということが基本としての通説でもあるし、そのような通説がなかったとしても、横に構える長い楽器を安定させようと思うと、必要以上に「あてる」ということをやってしまう?
・・三点支持に関しては、かなり怪しい論理ではなかろうか、と思っているけれど・・
この「あてる」をどのようなベクトルで意識するかで、大違いなんではなかろうか・・
少なくとも、自分が「あてる」と思った時に無意識に行っていた動きはかなりアンブシュアの力みを呼び、色々なことを邪魔していたなあ、としみじみしているところです。
多分、本当の名手、というのは、最初にフルートを「あてる」時から、この方向性が微妙に違っていたのではなかろうか。
モイーズもランパルも、多分、最初にフルートを当てて音を出した瞬間からあの音色を持っていた。
「口元でアンブシュアを作ってからフルートをあてる」
ではなくて、
「アンブシュアは口元とフルートとの共同作業」
「フルートを適したベクトルであてることで、初めてアンブシュアは完成する」
というのが、水曜日からの大きな変化です。
つまりは「三点支持」でもたらされてしまうような水平ではなく垂直に近いベクトル。
下あごへのベクトルを変化させることで、より力みのない口元に。
もちろん、それは「羊座り」があればこその身体の変化ではあるのですが。
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この日は二度目の宇高さんとの合わせ。
演奏のたびに違うパターンで色々と仕掛けてきたり、誘ってきたり、その時々の演奏と音楽を楽しんでいらっしゃるのが感じられ、触発されます。
ギターという楽器の持つ機動力と自由さが楽しい。
ロットと宇高さんのギターの音色はとても相性がよく、柔らかく、力強い。
嬉しかったのは、私のオリジナル作品「水月」をとても素敵にアレンジしてくださったこと。
これは高校の同窓会企画で16年続いた「東慶寺コンサート」のために創った曲で、もともとは日本最古の竹笛、「江平の笛」(・・すっかり封印してしまったけれど・・)のためのペンタトニックの作品。
ずっと見守ってくださった東慶寺さんの水月観音さま
https://tokeiji.com/guide/suigetsu-kannon
に捧げた曲で、水に映る月の煌めきを表したものです。
また「いちむじん」オリジナル作品の「紫陽花」も、しっとりとした日本ならではの曲。
とてもフルートに似合います。
この「口開け」になったのは、この練習の数時間後だったのですが、何かしら感覚が影響を受けたのかもしれません。
多分、よりこれらの曲に似合う音に、という欲求が生まれたせい?
去年はたった5つしか咲かなかった庭の紫陽花も、今年は沢山の花芽を付けました。
いつもは憂鬱な梅雨ですが、少しだけ楽しい季節となりそうです。
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