何故こんなことに気付くのに半世紀もかかってしまったのか、と毎度のことながら思うのですが・・
私にとっては画期的な指テクのさらい方に辿り着けました。
やっている人はやっているのだろうけれど。
もともと決して指はまわる方ではなかったので、比較相対的に、今の方がず〜〜っと回る。
とはいっても、やはり難しい箇所もずぐにはできない箇所も多々ある。
巨匠たちも、武術の達人たちも、一人稽古はゆっくりやれ、と言っているのは共通である。
そんなのあたりまえじゃあないか、とずっと思っていた。
でも、エジプトのレリーフを沢山見たことで気付いた自分の手指の力み、と滞り。
これらを取り去るのに「ゆっくり」はとても役に立つことに気が付いた、というだけの話ではあるのですが・・
できる、と思っているものも、ゆっくりやることでできていないということがわかる、という効用もある。
これまた昨日の話の続きでもあるけれど、心が身体にもたらす作用もある。
「ゆっくりやろう」と思うだけで、指先が変わるので、身体の浮きもよりかかる。
なので、より指は回るように。
手指に力みがあると浮くことはできない、というのも今回の気付き。
だからこそ、「指先」があれほど重要視されていたのではないか?
「出来ないものはゆっくりから初めて、何度も反復練習。少しずつ速さを上げて」
という稽古方法を幼い頃から疑いもせずにやってきたし、それなりの効果もあるけれど、少しずつ速度を上げなければできない、というのは、まだまだ力み、滞りがあるから。
ゆっくりの稽古では、指の動きの質を変えることこそが肝要。
なので、徐々にテンポアップというのはむしろ質の転換ではなく、無理させている動きを身体に覚えさせてなんとか間に合わせて、という決してベストではない選択ではなかろうか・
もちろん、間に合わせることは必要なので、なんせできるようにはしなきゃいけないのではあるけれど。
でも、ずっとずっと、ゆっくり吹いて、その都度動きの質を吟味し、その質を変えることができたのなら、その後は、すぐに速いテンポで吹ける・・・はず?
だって、考えてもみて。
ゆっくりでも、速くても、音が変わる瞬間の指の動きの速さは一緒なのだから。
ゆっくりと速いの違いは出している音の時間の差でしかない?
なんでこんなことに気付くのに・・と悔しがっているのは、特にこの部分です。
このやり方で、やや苦戦していたテデスコの第三楽章が急に吹けるように。
面白いのは、結構な速さになっているのに「ゆっくりやろう」と思い続けていること。
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