その後は路面電車に乗って大野浦まで。
大野浦の方が遠いので、先に行っておこうと、まずは宮島口まで。
各駅停車の長い旅ですが、駅と駅の感覚が近く、あっという間。
途中に「西観音町」という駅。
先生が被爆された街です。
そこを通過し、終点の宮島口で降りました。
殆どのお客は、そのまま宮島に渡るフェリーに。
その列から離れ、一人JRに乗り換え大野浦までは二駅です。
駅員さんに、この周辺で一番近い小学校を訪ねたところ、前の道をずっと歩いたところにある、と教えていただく。
もしかしたら、他の小学校だったのかもしれませんが、おそらく、、ここ。
宮島とは打って変わって、観光客は皆無。
道行く人もほとんどおらず、道中すれ違ったのは二人だけ、という静かな街。
先生は、助けにやってきた叔母様が曳く大八車で己斐(西広島)駅広場まで運ばれ、その後けが人を乗せるバスに乗せられ(座れないので床に寝て)この大野浦の近隣の小学校に収容されたのでした。
何故か炎天下の校庭に寝かされ、麻酔なして傷の手当を受けられたのだそう。
このお話は、直接、先生からもうかがっていました。
本当にあるのかな?とやや不安になった頃、その小学校はありました。
緩やかな斜面の中腹にあり、周囲にはなだらかな山々が見える。広い空の広がる校庭。
砂は、やや桃色がかった白っぽい花崗岩。
穏やかな風が吹いていました。
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