まだまだ全然、卒業なんてことは生きている間には無理だと思っていますが、今回、ググっと進級できたかも、という手ごたえのレッスンでした。
冬の間は、先生に私の雑菌をふりまいてしまって、風邪にでもしてしまったら申し訳ない、と思い、レッスンは3カ月お休みさせていただいていました。
そんな訳で久々のレッスン。
「動物さんたち大集合だワイワイ」
での演奏。
もちろん、楽譜の読み込みの甘さなど、まだまだ沢山ご指摘いただくことはあったのですが、最後に・・
「でも、音は、本当に落ち着いてきた。じゃじゃ馬じゃあなくなった!」
「はい。年も取りましたので!」
でも、本当の理由はそうじゃないことを多分先生もご存じ。
最初の一音目からほお〜という表情をされたのは気のせいではなかったと思う。
「吹いてみて」
と先生の楽器をお渡しいただきました。
今までソファーに腰かけて、お茶しながらの中で、少しだけ、音を出させていただいたことはあるものの、レッスンの最中に、先生の初代ロットをお渡しいただいたのは初めて。
びっくりしましたが、これは、この楽器で、この曲を、ということだな、と思い、初めて先生の初代で曲を吹きました。
川崎 優先生の「祈りの曲 第4番」
昔は、全く出なかった低音もちゃんと出る。
というか、私のロットとはまた異なる銀の、それも、銀だから、というよりも、先生が吹いて育てていらしたからこその、深い深い奥行きのある響き。
どこまで、この洞窟は続いているのだろう?ともっと探検してみたかった。
そして先生は先生で、私のマイユショーの初代ロットで、この曲を吹いてくださった。
マイユショーならではの明るい響きが、むしろこの曲の深さと重さを引き立てているような凄まじい演奏でした。
「・・・こんなに良い楽器だったんですね!」
「うん。なかなかいいね。ちゃんと初代だから、いろんなことが出来る。」
レッスンの最後に、
「なんだか、急にフランス語が上手くなったんじゃない?」
と先生ならではの諧謔的なお言葉。
もちろん、それは、先日のリサイタルのプログラムノートに、そしてフルート協会の会報に掲載していただけた、拙文「音と言葉のシランクス」に関しての感想。
「あ、ちょっとやんちゃしてしまいました。事後報告ですみません。・・でもみんな楽譜しかみていなくて、あまりにも、テキストには注意が向けられていないなあ、と思って。付随音楽なのに。あれに気付いたのは、川崎先生のお蔭です。川崎先生の訃報を聞いてから、もっとちゃんと勉強しないと、と思い直して、楽譜を見直して居た時に気付いたのです。」
「この曲(祈り)も、白川なりの解釈を考えてみるといいよ。シランクスでみつけたように。僕も今、色々と考えているけれど、これは演奏者によって違ってあたりまえだし、だからこそなのだから。
川崎先生が、何を言いたかったか、何を表現したかったか。自由にやりなさい。もうそれが出来るから。」
師のロットを吹かせてていただいた以上に、この言葉に驚いた。
今までの師からのご指導はずっと、「お涙頂戴になるな、田舎の安い芝居になるな」というものが多く、私はずっと、そうしたことに注意を払ってきていたのだけれど、今回、初めて「自由にやりなさい」というお許しをいただいたのだから。
・・シランクスはムーレのテキストがあったので、まあ、勝手にやらせていただいたのだけれど・・
実は「祈り」に関しても、音型のモチーフごとに感じていたことはあった。
「魂の飛翔」「運命の足音」「理不尽な出来事への問いかけ・何故?」「究極の美・慰め」「追悼の法螺」「心電図」・・・
これらは、へたすると実際、安い芝居になってしまうものだったろうと思う。実際「メソメソしてる」と良く叱られたものだった。
でも、今回、それは感じ方だけでなく、奏法、つまり音のクオリティに大きく関係するものだったのではないか、と思う。
同じ感じ方、妄想であっても浅くて硬い音だと、「メソメソ」の田舎芝居にしかならないのだ。
でも、音がちゃんと聴き手の心に届くようになれば、それはより深いものとなる・・?
それとも、そうした響きに近づけた心身だからこそ、感じ方、妄想、芝居も変化する、ということなのだろうか?
ということで、ようやく新たなステージでの第一歩が始まった心地です。
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