幾分強かったものの、サラっとした風がとても久しぶりで、気持ちの良い一日。
植村先生の下にうかがいました。
先月、7月の酷暑の中、伺った時、先生は何故か上機嫌で
「高音域がすっかりでなくなっちゃったの」
と仰った。
実際、本当に、「なんで?」というくらい出なかった。
思わず、
「・・・あの・・あの6月の演奏ではだめなのですか?」
と尋ねてしまったくらい。
実際、6月の本番の素晴らしい魂に沁みいる、豊かな響きは今でも忘れられない。
それを惜しげもなく捨てて「次」をめざしていらっしゃることに、おののいた。
とともに、あの上機嫌さから、おそらく新たなモデルチェンジのメドは立っていらっしゃるのだろうな、とも。
なので、今日のレッスンがとても楽しみでした。
それが、今回、ドアの前で待っていると、5センチはあるはずの鉄のドアを抜けて、おおらかな豊かな響きの高音、オクターブが聴こえてきた。
ああ、つかまれたのだなあ・・
おずっとそこで聴いていたかった。
先生によると、自分でそうしよう、というのではなくて、ロットが話しかけてくるらしい。
「もっと出せるんだけどなあ」と。
私のレッスンは・・
初代ロットを入手してからというものの、より厳しくなった?ような気がする。
というか、今年になってから、ずっと言われ続けていることは同じだ。
あのバッハのソナタを披露した時と同じ。
「悪いところはひとつもない!」
・・・でも良いところもひとつもない・・・
「・・・つまんない!・・・」
響き、音程、強弱、曲の構造、これらを研究して実践。
でも、未だ、最も重要なことが出来ないままである。
モイーズのレッスンの想い出をお話くださった。
この曲で本当にみっちり絞られたんだよ、と。
「おまえ、このGずっと吹いてていいよ。20分でもそれ以上でも、俺は付き合うから!」
と、モイーズから中々OKがもらえなかったGの音。
トーンディヴェルティメントのライヒャルトの、シンプルな小品である。
本日、私もそれをみっちりと絞られてきた訳で・・
ようやくOKがいただけた時には、自分がどのように吹いていたか、つまりどのように身体コントロールしていたかは、よくわからなかった。
でも、ただ、そうかとにかくこのように変えるのか。。ということだけは・・
とこれもはなはだ心もとないことではあるけれど、ここ数か月ずっと考えていた事の答えをいただけた気もした。
私がこれまで、これ程急激に様々な面で進展出来たのは、本当に「古武術奏法」のお蔭だと思う。
でも、それだけに常に「奏法」に全てを落とし込んでしまうようになっていたんだなあ、ということである。
奏法に落とし込むということは、ある意味デジタル化であって、それはともすると、常にまんべんなく同じ条件で「よく鳴る音」をもたらすことになる。
ロット、それも初代は、そんなことをするためにある笛ではない、ということを6月に手にしてからうすうす感じていて、それがなんとなく私の気持ちを「古武術」や「奏法」を考えることから遠ざけていたのだけれど・・
でも、それはつまりは使い方であって、それを遠ざけることなく、一度意識の中で忘れ去ることが重要なのだ、と今日のとても厳しい響きの追及のレッスンの中で気付かされた。
意識の中で忘れ去っても、身体の中に必要なものは沁みついている。
その上で、より音楽自体に集中し、音楽が求める、必要な表現をする。
奏法に頼ることは、ともすると、その音楽の表現を単純化し狭めてしまう。
「フレンチスクールの定義って知っている?
モイーズが一言で言いきったよ。
『様々に変化する微細な音色。そしてそこにエレガンスという香水を一振りしたもの』」
ということで、先生独自の音色の変化のためのエクスサイズをお教えいただいた。
師事してから18年目。初めての稽古でした。ああ・・
あと一週間しかないけれど、ようやく光が少しだけ覗いた気もする。
最後に気になっている事をたずねてみた。
「先生、また変化された今の音も素晴らしいですが、私はあの6月の本番の響きがとても衝撃的でした。何かきっかけがあったのですか?」
「ああ、あれはね。全部ひっくり返したの。」
「え?」
「僕は最初、疎開先で独学でフルート吹いていたでしょう?その後、色々とやってきたけれど、なんだかみんな違う気がして、もう全部やめて、ひっくり返して最初の自分のやり方に戻ったの。」
詳細は書けませんが、なんだかワクワクする話である。
「腹式呼吸、だの色々な言葉なんか、何も知らなかった頃に。」
「おそらく、その方が、結果としてより腹の奥と繋がって、腹筋も使えるのかもしれませんね。」
とその面白すぎるお話をうかがいつつ、私の「奏法」も同様なのかもしれない、と思った。
先生にしたところで、その後の様々な学びと変遷があればこそ、「初めに戻る」ことで大きな進展があったのではないかと。
階段をグルグルと登って登って、始めに戻る。
エッシャーの絵に私達が魅かれてしまうのも、こうした学びの面白さを表しているからなのかもしれません。
でも、その「始め」はもちろん、「毎回新たに進化した始め」で。
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