奥多摩での合宿の中、どういう流れだったかは、忘れてしまったけれど、(・・あ、確か、肩凝りの方からの質問だったかしら・・)甲野先生の脇の下に触れさせていただける事となった。
先生の脇の下は薄い膜みたいでした。
「ここは、本来、水かきだったところです。だから指の又同様に薄い膜状というのが本来の状態なのです。」
え?え?とみんなで、かわるがわる先生の「水かき」に触れる。
ああ、だからこそ「内腕」の効果も、先生はより顕著なのかもしれない・・と思う。
人間、自分にとっての主観的「自然」というものは、ただ単に馴染んでしまった「不自然の賜物」であることに改めて気付かせていただいた。
「先生、私のはどうでしょう?」
と触れていただいた。
即座に答えはあった。
「分厚いですね!」
私だけでなく、甲野先生以外は、もれなく「分厚い」でした。
手が吸い込まれる「真実の口」みたいな先生の鳩尾にも驚愕したけれど、まさか、こんなところまで異なっていたとは・・・
ということで、せめても、とせっせと脇の下のマッサージをしているこの頃です。
徐々にではありますが、はっきりと可動域が変化してきている気もする。
・・・・・・
実はこの体験も今回の大きなモデルチェンジに関わっている。
蠣崎さん伝授の、あるフルート奏者が息を吸う真似、と、この「水かき」(内腕)が合体して、今の私の奏法になった。
「呼吸法」という括りも違うので敢えて「奏法」。
「呼吸(いき)は身体の動きに付随する。」(@甲野先生)のだから。
やれ腹式呼吸だ、胸式呼吸だ、なんてパーツに特化して分けてしまったら、それ以外の様々な大事な要素がボロボロと取りこぼされてしまうから、私はこの手の言葉では語れないし語りたくない。
だって言葉、ネーミングは即ち「呪」。
「腹式呼吸」と口にしたとたんに、腹しか使えなくなる・・でしょ?
自分で自分に呪いをかけてしまうことって、案外多い気もする。
心身のブラックボックスに付随している呼吸は即ち、ピュシス(自然)である。
それはロゴスで分断されてよいものではないだろう。
・・・・
ということで、今回の変化の忘備録のメモ。
おそらく、これもすぐに途中経過になって自分でも忘れてしまうだろう。
最近特に忘れっぽくなってるので、記録。
・重心移動で構える・・転ぶことを恐れない・・というか、転ぼう!?
・吸いながら構える
・目・・これが今回最も変化したところかも。水かきに付随した動き。
・水かきを使う(内腕)
・スイッチ(植村先生の気付きを勝手にネーミング。自分にとってだけの用語なのでご容赦を)
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