先日の『古武術に学ぶ楽器奏法』での、サックスのOさんからのお悩み相談は、手指に関することだった。
試しに、私もサックスを構えてみたところ、もうその瞬間、いやだった。指が・・
サックスのキィの間隔はフルートどころではない・・
相当大きな手指であっても、こわばりを呼んでしまう、大きさでした。
「う〜〜ん、右手は使いたくない楽器ですね〜〜」
としばし考え、すぐに思いついたのは・・
フォルケルが書き残したバッハ奏法に関してのとある文章。
この気付きを、ピアノの鍵盤に手指を運ぶ時に応用して、かなり滞りを減らすことができたのは、思えば半年以上前。
ああ、それなのに、「ピアノ奏法」にだけしか思いが至らなかった・・
特に最近は、進展と共に自分自身の右手も以前に比べれば格段にラクになっているので、なんとなく「出来たつもり」になっていたのだろう・・
それが、サックスへの応用となり、良い変化をもたらすことができました。
そして本日。手がとても小さく、そのために苦労されているフルートの生徒さんのレッスン。
どうしても力みが入ってしまい、右手を使う音、低音が不得手。
見ていても、すぐに筋張ってしまう右手が痛々しい・・
「ああ、もっと早くにフルートへの応用を思いつかなくて申し訳なかった・・」と思いつつ、このいわばバッハのテクニックとでも言うべき、やり方をお教えしたとたんに、手指の表情が柔らかくなめらかになり、「こりゃもう、音も出るでしょ!」といった風情に。
そして初めて、苦労なく低音のCも出たのでした。
ああ、他人事じゃない・・と私も試してみたら、やはり最早別人。
ああ、まだまだ間に合わせて吹いていたのね、と反省しつつ、先日のお花見散歩の帰り、同じ路線に住んでいるので、ずっと同じ電車でお話をうかがってきた後輩Yちゃん(43才男子家族あり)の話を思い出していました。
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なんと趣味は「節約」なのだそう。
「僕たちは右肩下がりの世代ですからね。それに一度上がった生活のレベルを落とす、というの
はとても難しいじゃないですか。もちろんカツカツなのもだめですが、でも、贅沢しないで、そこそ
この快適さの必要最低限レベルに慣れていれば、大概の事は、乗り越えていけるんじゃ
ないかと思うんですよ。」
元々日本を代表するシンクタンクのアメリカ駐在員で、その後リクルートされてシビアな外資系大企業で活躍している彼は、一般的に見ればいわばエリートだし、成功者だろう。
とはいえ、本人には偉ぶったところも、過度に謙虚なところも全くなく自然体。
そのフレンドリーな、コミュニケーションスキルの高さにはお会いするたび驚いていたのだけれ
ど、そのYちゃんの口からそんなセリフが出てくるとは、とバブル真っ最中に20代を過ごしてし
まった私には驚きでした。
・・・見習いたい・・・
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おっと、そういう話ではなくって、手指の運び方の話でした。
つまり、非常にこの話と通じているものがあるのでした。
それはつまり、「贅沢で優雅なラクな暮らしから、それよりも程度が落ちるというのは非常に辛い」ということ。
殆どの人は無意識の内に「自然が一番」とばかりに、一番手指がラクな格好でキィのそばに指を運ぶ。
キィが、その手指の大きさ形状にぴったり合っているのなら、それでめでたしめでたし。
でも、そうは問屋が卸さない(ああ、古い言い回しかも?)。
楽器のキィは、、特に小指関連のものは、手指に無理をさせるものが多い。
手指は嘆いているだろう。
「さっきまでは、あんなにラクだったのに、この辛さは何?こんな暮らしにはもう耐えられないわ!」
それならば・・
その逆はどうだろう?
うんとカツカツの悲惨な暮らしから始めれば、少しマシになった、ということで嬉しいかも?
と手指をガーっと広げてからキィの傍に運び、しかるのちに、キィの上に戻す。
如何にも良さそうな発想だし、似たようなやり方を書いていた教本も昔何かで見たことがある。
でも!
これはこれで、悲しいかな、その悲惨さが身体の奥にまで刷り込まれてしまっていて、少しはラクになっているはずなのに、その辛さを振り払いきれない、という事態に。
いわば手指はいじけてしまっている訳で。いや、辛いのはだめでしょ、どんな場合も、って思う。
これらのいずれでもないYちゃん言うところの、「そこそこ必要最低限のまあまあ快適な暮らし」の手指をキィのそばに運ぶ。
ニュートラル・・まあこういってしまえば、簡単なようだけれど、そのニュートラルな「釣り合い」の状態を作り出す技をバッハは持っていたのだな、と思う。
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