「いい加減にしろ!」と石が飛んできそうな、仮説。
バッハの身体性って、上手いラッパーと同じだったんじゃないかな、とふと思った。
きっかけは、先日の私の講座に参加してくださった、マリンビストYさんからの近況報告。
「あ、それはまさに、前脚がバッハタッチになった、ということですね。腕もまた回収される動き・・」
なのに、自分では「フルートを構える」の「構える」という言葉に縛られていて、この前脚に関しては、固めてしまっていた、という猛反省と気付き。
これに伴う進展は、本当に大きく、背中からいろんな方向に音のビームが放射されている様な感じ。
Yさん、三味線のMさんとも言っていたのですが、背中にブツブツと沢山の穴があって、そこで子供を孵化させるカエル。あのカエルの背中みたいな・・その沢山の穴から音が放射される、というマンガみたいな展開となりました。
さらには、家族、親族一同で、ワンフィンガーのラップライブに行ってから、結構気に入ってしまい、家事する時のBGMとして、ずっといただいたワンフィンガーのCDをかけていて思ったことが。
「ラッパーって、バッハタッチ四足歩行?」
実際、このバッハタッチ四足歩行でリズムに身をゆだねると、どんどんと身体がほぐれてくるのがわかります。
特に、今まで固めてしまっていた前脚が。
よく、「腕は肩からではなく、鎖骨、肩甲骨からです」という言われ方がされていますし、私もよく言っている。
でも、まだまだ「知識」として言っていたのだなあ、と反省。
今まで、私にとっての「肩甲骨から腕」というのは、その腕の付け根、つまり肩甲骨の部分が小さかった。動きが目立つ、でっぱった肩甲骨の部分からしか、使われていなかったのである。
でもバッハタッチ四足歩行でラップのリズムに合わせて踊ると、骨付きハム、はたまた、クリスマスの骨付きの鳥ももみたいに、腕も、肩甲骨周辺の背中と鎖骨から繋がっている非常に大きなパーツであることが実感されます。
もちろん、これは前脚(腕)だけで動くのではなく、後ろ脚(脚)の動きがあればこそ。
私が辿り着いた現時点の姿勢というのは、鳩尾が緩み、背骨もゆるやかに曲がり頭はやや下を向いた、姿勢。
決して、ただダラっとしている訳ではないけれど、これらの結果、かなり肩は落ちている。
13年かけてやってきたフルート奏法の集大成は、息子が何気にやっているラッパーの構えだったとは・・?
もちろん、ラッパーにも、「ただ脱力してダラン」という人もいるだろうけれど、そういう人は滑舌も悪いし、あんまりうまくないんだと思う。
先日のワンフィンガー・・ほぼ2時間、歌って踊りっぱなし・・
声のクオリティも全く衰えなかった。
ただ若いから、という話ではないと思う。
・・青い鳥は家に居た、みたいな話である。
さらに、この状態でピアノを弾いて感じたのは、ピアノもフルート同様、前脚、後ろ脚で演奏する楽器なのだ、ということ。
パイプオルガンの名手であったバッハ。
その厳粛な表情の肖像画だけみると、四角四面の硬直した身体で、こちらもかしこまってしまいそうになるけれど、そんな身体で、あのオルガン曲が弾けるはずもない。
ということで、もしや?
と、「バッハ=ラッパー」仮説。
・・・・・・・・・
あと、「楽器の重さをなくす」からの発展応用で、「腕の重さをなくす」デピアノを弾くようになったところ、これまた大きく変化しました。
「肘から先は道具」(@甲野先生)
つまり、この道具の重さを消す。そうすると、腕が透明になったようで、「弾く」という実感からはさらに遠ざかる。
でも、腕の重さはより鍵盤に伝わるようになりました。
重さを乗せるために、重さを消す。
そして指先のバッハタッチだけでなく、「腕」全体もバッハタッチ。
そういえば、バッハのアリアをグランドピアノで奏でるテューレックは、そんな弾き方だった。
以前は、現代のグランドピアノには私のバッハタッチは太刀打ちできなかったけれど、これならば、相当重い鍵盤でも、軽いクラヴィコードと同じ様に弾けて、音もしっかりと、勝手に出てくるの、ではないか、と予想しています。3月2日の鶴見での音楽家講座ではグランドピアノが使えるので検証してみたいと思う。
この技法は、演奏している間、その変化に伴って刻々と変化する重心をとらえ直す連続、とも言える。
釣り合いを探し続けながら演奏している、というような。
今のところ、その操作を私は命門、四肢、そして頭(物理的にね)で行っています。
・・
気付きはもうひとつ。
世間一般での「良い姿勢」と言われているあの、背筋を伸ばす姿勢は、むしろ、緩慢に呼吸を浅くし、健康を蝕んでいる大きな元凶ではないか、と思っている。
現代になって急激に増えた様々な疾患の元凶は、この「良い姿勢信仰」のせいではないかと思う。
今までも、ずっとうっすら思ってはいたけれど、今回の様々な気付きで、こうしてもう、これは私にとっては歴然とした事実になったので、ここに書いてしまうけれど。
何故なら、今回の気付きで、私の呼吸は、さらに深まったから。
57年間、なんと浅い呼吸のまま、生きてきたのだろう、ととても悔しい。
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