とはいっても、アメーバーなるものを見たことがないので、なんとなく、そんな感じ?というイメージでの譬えですが、なんとなく、アメーバーっぽくもある最近のモデルチェンジです。
6月24日、本番当日にそれは突然やってきました。
下人は二の腕を出しゃばらせないようになった結果、より肩のつまりが減り、肩甲骨が動き出したせいだと思います。
24日当日は、まだ肩甲骨から腕にかけてでした。
つまり、特撮のSF映画みたいに、アメーバーっぽい何かが、身体表面ではなく、少し内側で増殖して広がっていく感じ。
内側の細かい糸がより張り巡らされたような状態でもあります。
そして、これが、先週日曜日からさらに顎や首、喉周辺にまで達してきた。
そして、昨日、名古屋からいらした生徒さんと、こんな会話をしたばかりでした。
「まあ、今のところ、こんな感じですが、こうなってくると違和感は、お尻なんですよね。他は皆、演奏に参加してくれているのに、お尻のあたりだけが、ソッポ向いてるみたいで。」
「じゃあ、また変化されそうで、楽しみですね。」
「ええ、でもまあ、そんなにすぐには変わらないとは思うんですけど、気になるところではありますね。お尻が・・」
それが、本日、午前中ノレッスンで、降りてきた。
背中や首を程よく丸めるのに、骨盤が参加していないと、それはただの所謂、悪い姿勢で窮屈になってしまいます。つまり、脚がのびて、上半身を支えるためにしか使われていない場合はそうなる。
そこを直していただいた直後、気が付いた。
「そ。だから、このアメーバーをお尻の方にも降ろしてくればいいんです!」
これを行ったのは初めてでしたが、その途端、お腹の奥の方も反応があり、驚きました。
さらには、今まで使われていなかったお尻から太もも上部の裏側あたりも、俄然参加してくれるうぴに。
「別世界ですね・・」と生徒さん。
本当に、別世界です。
これが良いか悪いかはわからないし、何が何やら、正直わからない。
でも、肩、二の腕、手首のブロックが外れたことで、肩甲骨が動き始め、そこが起点となって、身体全体に影響が及んでいる、というのは確かです。
東洋医学では身体の全面が陰、背中側が陽なのだそう。
それは、四足歩行だった時、天に向かっているのは背中だから、。
陽の側をほったらかして、陰」ばかりクローズアップしてしまいがちだったよなあ、と反省。
陽があるからその結果として陰がある。
フルートにおける指の動きは「魚の胸鰭」と随分前から言ってきたけれど、鍵盤奏法においてのアップツークやシュネレンの記述がそれに呼応するのではないか、と思う。
で、気付いたのは、通常の指は、かなり、この関節の仕組みに沿った螺旋運動になっていたけれど、トリルは、かなり上下運動を苦労して、訓練してできるようにしてしまっていたので、まだ無理させて手首に滞りをもたらしていたことを本日発見。
トリルも胸鰭方式でさらい直す。別世界である。
・・・・・・・
一大前提として、今の自分のレベルでの感想なので、この先、また変化するかもしれない、とエクスキューズはしておきたいけれど、クヴァンツを久々に読み返して、とても違和感を覚えています。
もちろん、装飾法など、大変参考にしているし、古の巨匠のひとりとしての、尊敬はもっているけれど、少なくとも、奏法に関しては、私が目指しているものは、ここにはない。
クヴァンツが書いた、このフルート奏法は、なんだか、頭だけで組み立てている気がしてしょうがない。
エマニエル・バッハがあわてて、ある意味クヴァンツへの反論としての『正しいクラヴィーア奏法』を出版したのもわかるような・・
つまり、この二人は身体性が全く正反対と言っても良い。
フルートとクラヴィーアなのに、どうして?
どちらも、手指を使うことにおいては同じだし、手指とは楽器と仲良くなるための、一番重要な接点で、ここに奏者のセンスが凝縮されている、と考えているから。
少なくとも、クヴァンツには、おそらく、この手指による「手の内」の感覚はエマニエル程にはなかったのではないか、と思う。
私は、もう完全に、エマニエル・バッハに一票だわ。
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