友 逝きて 我はただ寿司 喰らいけり
とても楽しかった昨日。でも、帰宅後、メールチェックをすると、そこには思いがけない方の訃報のお知らせメールがありました。
突然のことで、ショックで、悲しく、一日の中で、これほど、起伏があったという日は、他にはない。
友、と呼ぶにはおこがましい、人生の先達でもある大先輩ですが、高高同窓会、の俳句の会「ニクの会」でのお仲間であり、とてもお酒好き。
酒飲みの句を詠むのは、大西先輩か、私かのどちらか、というくらいで、他の方が選ばないものでも、お互い、のん兵衛の俳句には一票、入れていた同志です。
なので、僭越ではあるけれど、私にとっては数少ない心からの「友」でした。
療養されている、とか病気であるという話も全くなく、先月もゴルフにも参加され、お元気だったというのに、肺がんが急に悪化し、旅立たれてしまいました。
日本法曹界の重鎮でもあり、ロッキード事件を始めとし、数々の大きな事件を手がけられた。
ダンディーで、いつも飴色に磨きこまれたパイプをくゆらせ、ゆったりと、ニヤリとしながら、ここぞ、というところで、スパイスの効いた一言を述べていらした大西先輩。
俳句の会が発足した折、私の父方の祖父が、高浜虚子の弟子の白川朝帆という俳人で、やはり弁護士だったと知った時、
「え!?まりちゃん、白川先生のお孫さんだったん?僕はねえ、とてもお世話になったんやで。」とおそらく知り合って、10年目くらいに、そのことを知って、驚かれていて、その後、祖父との思い出話を綴ったお手紙や、弁護士協会に残っている祖父のことが記された文献資料などを送ってくださったのでした。
「本当に、優しい人やった。僕が学校の劇で、法廷劇がやりたくて、そのために、白川先生に法衣を借りにに行ったことがあったんやけど、快く貸してくださって、それを着て、弁護士の役をやったんや。その法衣が本当にかっこよくて、憧れて、それで、僕は、弁護士になりたい、と思ったんやで。」
とのことで、私が生まれる前に亡くなった祖父のことを色々と聞かせてくださいました。
ところが今日のお通夜で初めて知ったのは、大西先輩のお父様も、さらにはおじいさまも弁護士だった、ということです。
・・・じゃあ、なんで、わざわざ祖父に借りにきたのかな?
今となっては、もう謎のままであありますが・・
この世代を超えた繋がりのとても楽しい、高高の東京玉翠会の仕組みを作られた、ある意味、生みの親的存在でもある大西先輩。
年齢も、人物も、私からは遥か彼方に隔たった、大きな存在ではありますが、俳句の会では、酒飲み同志、ということで、お互い共感しあえた句を詠みあった「友」でした。
突然に逝かれてしまい、本当に悲しいけれど、通夜に集まった、同窓会の面々十と、大西先輩を偲ぶとともに、生きているうちに、もっと、もっと、お互い会っておきたいね、遊ぼうね、と語り合い、献杯した次第です。
同じ俳句の会に参加されている奥様も、通夜開始は、ずっと泣いていらして、細い体がさらに儚いくらいになっていらしたのですが、ご焼香が始まり、挨拶を受ける段になると、そこで、ご自身を建て直し、きりりと、ご挨拶されていた姿が、さらに切なかったです。
それにしても、75歳、というのは若すぎる。
冒頭の句は、お通夜の席で浮かんだ句。
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