ここのところの変化、進展は、もうあきれるくらいで、つまりは、どんだけヘタだったんだ、ということではあるにしても、でもまあ、やはり嬉しい。
特に、先日のセレンディピティ、「バッハの指」による変化は大きく、生まれて初めて、フルートを構えているような不思議な心地すら漂ってきます。
6月に初演する現代曲、♩=144で続く沢山の♬に苦戦していたのが、「何?」というくらいに出来てしまった・・
今日だけかもしれないので、ぬか喜びはしないようにしなくてはいけませんが、でもでも、動きの質も、演奏の質も全く違う・・
そうか。私は、そもそも、フルートの持ち方からして、間違っていたんだな、と。
でも、それをもたらしたのは、小さい頃から好きだった、ピアノの練習、トレーニング。
「卵をくるむように」とは、常に親指先行を呼ぶ形状だった。
習わされていたお茶でも、先生は親指を見せない様にと仰っていたし、淑女の嗜みとしても、親指というのは、人様に見せないように取り扱う、というお洒落な話も、昔母から聞かされていた、というのに。
カップに手を延ばす時、ハンドバッグを腕に下げる時・・
別にそんなに気取らなくても、と若気の至りで聞き流してしまっていました。
もっとちゃんと、耳を傾けておくんだったな、と後悔。
山葡萄の籠で試してみましたが、腕を通した時に、このバッハの指にすると、身体が繋がって、なんと籠が軽くなりました。さらに両手をこの手の内(そう、これはもう立派な手の内!?)にすると、足取りも軽くなり、とても歩きやすくなる。
これは、バルタン星人の手の内でもあります。
でも、惜しかった、というか一番違うのは手首の問題。
せっかくバルタンで整えても、楽器を構える時には、「卵をつかむ」という親指が主張してしまう形状にしてしまっていました。「それが良い」という長年のピアノの練習で培われてしまった思い込み。
モーツァルトの時代で、既にこのバッハの指使いが特殊なこと、とされてしまっていたのだから、近代合理主義の下では無理もないことではあるけれど・・
手指は胸鰭の様に動かす、とやっていたつもりでしたが、そのせいで、手首でロックされてたんだな、と。
今回のバッハの指の手の内のお蔭で、ここの滞りもとれ本当に大きく変化しました。
指や舌がより回りだしたことも、嬉しいけれど、何よりも、音、響きの変化が大きい。これが一番嬉しい出来事です。
右手の変化に伴って、頭の位置、笛の向きもまたさらに変化しました。
世間一般に流布されている、所謂「良い姿勢」「正しい姿勢」からはさらに遠ざかる・・
結果、右手とそれに付随する頭の位置など、師匠の構えにさらに似てきたような気もする・・決して真似しよう、と思った訳ではないのに。嬉しいような悔しいような・・
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今までも講座で説明しやすいように、と、手の内に、色々と名前を付けてきましたが、流石の私も、大バッハの名前を使うのは気が引ける。
何か、ないかな、とすぐに思い出したのが、こちら。
息子が小さい時から持っているお気に入りで、今も部屋に飾られているのをちょっと拝借。
そうそう、この感じです。
ということで、新たな手の内は「ピグモン」!
円谷プロの造形感覚、素晴らしいと思う。
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