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2021年02月09日10:05

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ドイツ軍参謀の観点からの第二次世界大戦論(31)------本流ではなかった地中海戦域

6.5 地中海戦略-----本流ではなかった地中海戦域
(訳者序)
我々の情報は,英語圏経由が多いために,北アフリカや地中海が重要な戦域であるかのような印象を持ちがちである。日本でも,北アフリカ戦線でのロンメル将軍の活躍は有名である。しかしながら,実際には,戦争の本流から外れた傍戦でしたかなかったことに注意してほしい。

<日本語訳>
さらに,我々をよそに,戦火が南方へ飛び火したので,ヘルマン・ゲーリングとレーダ提督を含む幾人かの最高指揮官が,1941年初頭に,地中海で英国を叩き,ジブラルタル,北アフリカ,スエズ運河を確保するように督促した。英軍は,あまりにも薄く展開しているので,そのような武力攻撃を阻止することは,望み薄だった。このようにして,我々は,南方側面を超えることができないサハラ砂漠で封することができる。英軍のアフリカおよびアジアへのへの海上交通線は,遮断される。英軍の士気と供給システムは,チャーチルの没落と我々と英国側の双方は必要としている休戦をもたらすことも十分に有りえた。

ヒトラは,(その作戦)に引き付けられた。しかし,スペインの独裁者フランコは,背信的にイギリスへの攻撃に加わることを拒否した。ドイツが彼のために内戦を勝利させた勝利させたにもかかわらず。そのために,総統は興味を失った。彼の心は,ロシアへの侵攻にあった。しかしながら,かれは,ソビエト連邦への決定的な攻撃の動員を進める一方で,北アフリカ,ユーゴスラビア,ギリシャにおいて直面した問題には,エネルギッシュに行動し,軍を派遣した。我々の部隊は,短い期間の間,至る所で勝利した。この時期には,つぎつぎに現れるドイツ勝利の栄光以外には,何も記録されていない。

[訳者によるコメント]-----個人的見解
かりに地中海戦略が成功したとし,イギリスとの休戦が実現可能かどうかには疑問が残る。イギリスのアフリカおよびアジアへのへの海上交通線の遮断できたとしても,米国のルーズベルト政権が武器供与法に基づき,より一層の督戦を促すだけに終わった可能性が高い。さらに,地中海戦略を実行したならば,ソ連への侵攻を最低1年先送りにせざるを得ない。当時のドイツに,ソ連への侵攻を最低1年先送りする余裕があったかどうかも疑問である。
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