安倍内閣の対応を見ていて、
亡くなった父が生前、私に語った言葉を、
実感するようになった。
その言葉とは「国家を疑え」だった。
父は、明治40年(1907)生まれで、
満州事変から太平洋戦争を丸ごと体験した世代だった。
戦時中は薬品会社に勤務していた関係で、
軍需要員として兵役を免除され、戦地の赴くことはなかった。
終戦時、38歳、戦費用に発行された大量の戦時国債は
ただの紙切れとなり、住んでいた借家も
家具ごと3月10日の大空襲で焼失。
裸一貫になった父はそこから家族5人を養うために、
身を粉にして働き、終戦から12年経った昭和32年、
今のまちに土地を買い、住まいを得た。
その、費用はすべて株で賄ったと聞いている。
父は決して、国家を愛していなかったわけではない。
むしろその逆であったように思う。
ただ、国家の情報を鵜呑みしていた自分を
きびしく戒めていたように見えた。
一人の国民として、いささかも国家を疑わなかったことに
忸怩たる思いがあったのだろう、
戦時中のことをほとんど語ることはなかった。
私に語った一言、「国家を疑え」は、戦時中の体験から
政治家のやることに気をつけろ、自分の考えと信念を持って、
国家を疑う心を忘れるなと、言いたかったのではないか。
終戦の日(私は敗戦の日と受け止めている)に当たり、
今の政治状況をみるにつけ、その一言が強く、重く心に響く。
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