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2017年10月06日21:09

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缶ジュースの旅路

生産側が機械で大量に作る。
それを原価に色目を付けて、小売業に卸す。
小売業が一箱いくらと定めて、陳列する。
それを我々は、二段に色目が付いた品を定価として買う。
だから生産側に近ければ、原価に色目で、小売業で買うよりは安くなる。
ただし捌く側は、大量生産するので大量に消費してほしい訳だから、
一本だけくれ。とはならない。
ビジネスは色目の付け具合と収納してくれるかだ。
小売業のビジネスは安く仕入れて、色目を付けて、大量に捌く事。
これがビジネスの基本型だが、
もちろん、色目を高く付ける。つまりふっかけるもアリだ。
ただ信用面ではどうか。
結局、定期的であり、色目を控え、ある程度が捌ける。
つまり手堅くやるのが、利口な話だ。
まぁ物にもよるが。
新商品などは、価値を量るのが難しい。
時流にもよるが、結局は原価に少しが安全牌だ。
ただ、生産側としては、原価がかからず価値があるのは理想だ。
しかし、結局は定まるところに定まる。
手堅くが常法なのだ。
名指しは避けるが、自販機とコンビニとスーパーは、
どうか?
しかし利便性から価値が上がるのはしょうがないと
ニーズが判断した。
生産側からすれば、売れる良い話。
まぁ、商売のプロは手堅く信頼でやるとして、
アマチュアや未成熟、新規の分野は、ふっかけるのが濫行する。
そこは経済の流れというか、ニーズや時流なのだが。
ただ私たちが一つ買う事で、生産側小売り側が助かる。
という事はある。
よく買われる良い品は、生産側小売り側に携わる多くの人が救われる。
だからお客さまは神様だ。となる。
荒れない経済はこういうものだろう。
荒れれば、大儲けしたかと思えば倒産し、失業者があり、借金や転売につながったりする。
しかし、毒のようなものだが、健全な経済には多少、こういったことが必要になるのだ。
流動性や、変化だ。
多少は、だ。
我々は、良い品を買えば良い。
結局は。

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