目を閉じ呼吸に集中する。
自分を消してゆく。
しかし消しきれはしない。
それは生命だから、
目を閉じても耳が聴く。
心が感じる。
世界は消えない。
生命も消えない。
なら生命が正しいのだ。
私が考え違いをしていたのだ。
私は縁によって起きる。
自我も生命の働きのためにある。
心が感じるから生きられる。
本能の動物ではない。
役割があるのだ。
必要に応じて生まれた。
それを縁によって起こると言う。
自我以前に、人体は志向性を持つ。
人体は役割を持つ。
その後に自我がある。
それはけして相容れない事はない。
環境は変われど、環境に相応して人体志向性がある。
そして私がいる。あなたがいる。
自我も意味があるものなのだ。
生きることは、何かの必要性を満たしている。
必ず。
自我が迷うのは善くない。
我が我が、では役割を逸脱してしまう。
環境に従い、尚且つ、自分を生きる。
すでに為すべき自分はいる。
逸脱は善くない。
総ては調和する。
星の巡りとも言える。
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