3.1(日)に諏訪敦展を観るため天王洲アイルの「WHAT MUSEUM」に出かけた事は、3.4(水),5(木)の日記にレポートした。天王洲運河周辺の天王洲アイルは、もはや倉庫街ではなく芸術文化の発信地に変化しつつある。当日は、「WHAT MUSEUM」から運河沿いの「天王洲第
(続き)グスタフの映画制作への思い、その核にあるのは彼が7歳の時に家で自死した母カリンだった。自身老いを迎え、何故母は死を選んだのか、それについて正面から向き合い、喪失を乗り越えたい。かつて長女ノーラにも自死の危険が迫った事があった。最後の映
3.16(月)、シネマイーラ浜松で『センチメンタル・バリュー』を観る。デンマークのコペンハーゲンで生まれ、ノルウェーで活動するヨアキム・トリアー(1974- )が監督し脚本も書いた2025年作品で、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。2006年に長編監督デビ
3.8(日)に静岡県立美術館で「中村宏 アナクロニズムのその先へ」展を観た事は、3.10,11,12の日記に3日連続の長いレポートをしたためた。浜松市からだと、よほど天気が良ければ、高い建物の上階から、富士山の頂上付近がほんのちょっと見える事がある程度だが
(続き)もう一つアメリカが抱えていた火種がベトナムだった。軍事顧問団(1955~//1962~軍事援助司令部)という名目で多くの兵士を南ベトナムに送り込んでいた。1962.4、ベトナムを視察したルメイは敵対勢力を壊滅させる計画を主張。アメリカはルメイが開発させた
(続き)そして、第21爆撃軍司令官として白羽の矢が当たったのが38歳のルメイだった。ドイツ戦線,中国戦線と、常に結果を出し、当時最年少の少将となっていた。アーノルド「この仕事には経験と知識、判断力を持つ人物が必要だったが、同時に鋼のような冷徹さも
3.9(月)、NHK総合の「映像の世紀 バタフライエフェクト」は、『将軍ルメイ「悪魔」と呼ばれた男』を放送した。この日に放送したのには深い訳がある。米国ネブラスカ州オファット空軍基地 世界で軍事力を展開するアメリカ軍は核戦略の司令塔をここに置いてい
(続き)中村には、初期(「タブロー論・テーゼ」/1958)から美術の根拠を「観賞」に置くという絵画観があった。作者の制作行為だけでは創造は成立しない、物質としての絵画を鑑賞者が認知する事によって初めて絵画の創造性が立ち上がる。絵画を作家の内面表現やイ
(続き)1951年に19歳で上京し、西武新宿線江古田駅近くに住居とアトリエを定め、日本大学芸術学部へ進学した。大正時代末期からその辺りは「池袋モンパルナス」と呼ばれ、家賃も安く、多くの貧乏芸術家が住んでいた。学生運動や社会活動が高揚する時期、中村は
3.8(日)、静岡県立美術館で開催中の中村宏展を観る。正確なタイトルは「中村宏〜アナクロニズム(時代錯誤)のその先へ」。チラシは5種類程あったが、以下その内の3枚。・会期 1.26~3.15これ迄に私は中村宏の個展を3度観てきた。1)「図画事件/東京都現代美術館
近くにあるモクレン通りは、7km程、道の両側にハクモクレンが並んで、今盛り。今日は風が冷たかったが、頑張って咲いていた。おそらく今週いっぱいで散り始める事だろう。
静嘉堂@丸の内の「たたかう仏像」展は3.1(日)に上京したおりに観た。以下レポート参。https://mixi.jp/home.pl?from=l_navi#!/diary/3341406/1991718494昨3.7(土)の中日新聞朝刊に同展の記事が掲載された。理解を深めるため、下に貼付し、少々加筆しておこう
2.7(土)、豊田市美術館で高島野十郎展、豊田市コンサートホールで名古屋フィルの演奏会。その復路、東名高速を車で帰る際に熱っぽさを感じた。痛みという程ではないが、胸にイヤな感じもあった。2.8(日)、朝体温を測ると37.3℃。1日ゆっくり寝る事とする。2.
3.4(水)、アクトシティ浜松中ホールで行われたフルート上野星矢(せいや/1989- )とピアノ谷昂登(あきと/2003- )のデュオ・コンサートを聴いた。上野星矢は2024年5月、富士山静岡交響楽団の第124回定期演奏会でモーツァルトのフルート協奏曲第1番K.313(285c)
(続き)Chapter 3「横たえる」この展示室の絵の中で横たわる人々は、全て諏訪自身の家族である。ベッドで多くの管につながれた父、亡くなった父のデスマスク、その父が手記に遺したハルビンの難民収容所で病死した祖母の存在は諏訪のリアリズムを新たな領域へ
寺田倉庫が運営するWHAT MUSEUMは、埋立地・天王洲の倉庫空間を現代アートや建築との出会いの場へと昇華させた倉庫会社ならではのミュージアム。私は今回初めて行く。そのWHAT MUSEUMで、現代日本絵画でリアリズムを牽引する画家 諏訪敦(1967- )の個展「諏訪
3.1(日)、上京して2つの展覧会を観た。1つは静嘉堂@丸の内の「たたかう仏像」。もう1つは天王洲アイルのWHAT MUSEUMの「諏訪敦 きみはうつくしい」。先ずはオール静嘉堂所蔵品による「たたかう仏像」展についてレポートする。・会期 1.2~3.22チラシの像は唐時
■■このレポートの本来のテーマである「観た聴いた読んだ」の月次棚卸しの前に、日々の出来事や歳時記など、備忘のため書き留めておく。2.3 衆院選期日前投票を済ます。2.8 衆院選投票日。自民党の圧勝に終わる。TK1総理は、具体的な政策は何も提示していな
月村了衛(つきむらりょうえ/1963- )の時代小説『十三夜の焔(ほむら)』を読む。月刊「小説すばる」の2021年11月号から2022年6月号連載時のタイトルは「十三夜の鬼」だったが、2022年10月に集英社から単行本で出版するに際して改題した。私は月村了衛作品は初
2.24(火)、シネマイーラ浜松で『CROSSING 心の交差点』を観る。監督で脚本も書いたレヴァン・アキン(1979- )はスウェーデン生まれのジョージア人。ジョージアは黒海とカスピ海の間に存在し、古くはソヴィエト連邦下にあった小国。当時はグルジアと呼ばれてい
(続き)2)のピアノ協奏曲イ短調はロベルト・シューマン(1810-56)が1841年と45年に作曲した。1840年にクララとの結婚に漕ぎつけたシューマンは、翌年、クララをピアノソロとして単一楽章の〈ピアノと管弦楽のための幻想曲〉を作曲した。その4年後、これを改作し
2.23(月)、アクトシティ浜松中ホールで行われた富士山静岡交響楽団第135回定期演奏会を聴く。当夜のメインは何と言っても、鈴木愛美によるシューマンのピアノ協奏曲である。プログラムは以下の通り。 指揮 高関健1)ストラヴィンスキー 弦楽のための協奏曲ニ
昼食には旧相良町の「壽亭(ことぶきてい)」に行こうと思っていた。下調べによると、明治創業の老舗で「田沼蕎麦」が名物だと言う。田沼家の家紋「七曜紋」の漆の器を使った天ざるを提供するとの事。だが、残念ながら、当日は定休だった。やむを得ず、近くにあ
昨日レポートした相良梅園から南へ5km程下ると、平田寺(へいでんじ)という臨済宗妙心寺派の寺がある。室町時代1283年に開山、戦国時代末期に本堂は焼失。1758(宝暦8)年、田沼意次(1719-88)が相良藩主に就任すると厚い庇護を受けた。1786(天明6)年には、意次に
2.18(水)、牧之原市片浜の「相良(さがら)梅園」でひと足早い梅見を愉しんだ。相良に梅の里があるというのは知らなかったので、今回初めてやってきた。「相良」は古い藩名、町名で、今は牧之原市の一部。御前崎の岬から駿河湾を15km程北上したところに梅園はあ
(続き)しばらくして、岳人のスマホに藤竹からメールが入った、「長年の疑問に答える地学の実験をやります。待っています。」藤竹はその夜、グラウンドで、岳人の友達の不良仲間のMと出くわした。Mは定時制をやめてしばらくたつが、岳人に用があると、原付をふ
伊与原新(いよはらしん/1972- )の小説『宙(そら)わたる教室』(2022)を読む。伊与原作品では、これ迄に『月まで三キロ』(2018)を読んでいる。2019年、新田次郎文学賞受賞。以下参。・「小説『月まで三キロ』伊与原新」(2022.11.17記)https://mixi.jp/view_dia
(続き)今年8.31(日)のNHK-Eテレ「日曜美術館」は『寫実の極致それを慈悲といふ 高島野十郎』と題して放送した。番組中で、千葉県立美術館館長の貝塚健は、例えば《友禅菊》(1965/エピローグ)を例にこう解説した。…野十郎は壺に入った咲き誇る菊の花をキャン
2.7(土)に豊田市コンサートホールで名古屋フィルのコンサートを聴いた事は昨日,一昨日の日記にレポートした。コンサートに行く前に、豊田市美術館で開催中の高島野十郎展を観るため、家は早く出た。没後50年を記念した大規模な回顧展で、東海圏では初だそうだ
(続き)2)ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲ニ短調、ソロは金川真弓(1994-)。私は彼女の演奏を生で初めて聴くし、それ程メジャーなネームでもないので、少し紹介しておこう。1994年ドイツ・フランクフルト生まれというので、計算上31歳くらいだろうか。豊潤