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2022年06月06日17:24

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迷子の美学、その12

 迷子にならないような人には、人生の面白さは分からない。

 筆者は迷子の達人であるから、当たり前だが、人生そのものも、常に迷子だ。思想とか信条は常に迷っている。昨日まで左今日から右で明日は明日の思想あり、と、そんな諺の通りなのだ。スポーツなどは、一通り道具が揃ったところで次のスポーツに移っている。スポーツは極めないがそのスポーツの道具は極めたりする。しかし、それは筆者だけではない。
 美味しいフレンチのレストランのシェフが、稼業の寿司屋を継ぐために別の寿司屋の修行に出たが、どうせなら日本料理も経験しておこうと料理屋に入り、さらに、洋食もと思ってフランスに修行に出て、結果として、帰国してフレンチのレストランをやった、と、そんな話を聞くことがある。これが意外と珍しくないのだ。
 また、洋服のデザインの修行にイタリアに行き、そこでイタリアン料理に魅了されて、レストランで修行して、帰国してイタリアンのレストランをやったという人の話も聞いたことがある。こちらも珍しくない。
 気まぐれでいい加減に思えるが、その人たちの料理は美味しかった。人生とはそんなものなのだ。寄り道を嫌うようでは人生は面白くならない。
 仕事以上に熱心に趣味をしている人がいる。スポーツだけではない。そうした人は音楽にも、美術にもいる。学者とマニアの区別などは、もはや難しい。ところが、そうした人のほうが仕事も楽しんでいたりするものなのだ。何が悲しくて休日の朝に早起きして草野球や草サッカーをするのか分からない。ビジネスホテルに何回でも泊まれるだろうというお金をかけてまで、わざわざ高級テントで寝て高級な調理器具で不自由な料理を不自由な場所で作って食べる人たちがいる。楽しみは苦労の先にある。道草もしないようでは人生は面白くない。
 仕事と家庭。それが清く正しい生き方のように洗脳しようとしている人たちがいる。会社と家だけを往復して、家ではテレビゲームだけしていれば迷子にはならない。路頭に迷うこともない。しかし、そんな人生の何が面白いだろうか。
 筆者は生涯迷子でいい。道迷い、途方に暮れて、先を知る、と、どこかの俳人も詠っているのだ。廃人の詩だったかもしれない。それだっていいのだ。
 どうせ来た道も行く道も忘れてしまうのだから。
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