世界のクロサワの描いたスコセッシのゴッホはなにか考察するヒトめいていたが、このゴッホは感情にいざなわれる素朴な人間であり、ヴィンセントミネリのカークダグラスは激情のゴッホだったが、ハンドヘルドのカメラに揺れるこのゴッホは激動の闊歩を進める。絵を描かざるをえない。ゴーギャンが言うように、絵画というより粘度の彫刻、その資質、天才はシュナーベルにとっての光なのであろう。フランス語が表されるなか意思が通じる人とは米語とは、アカデミックなメインストリームに対するマージンのニューヨーク派たるシュナーベルの意志の顕われか。けっこうオーソドックな造りであった。そのぶん感動を素直に届けたかったのであろう。
ログインしてコメントを確認・投稿する