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2018年08月24日23:29

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稲葉そよぎて-稲穂と和歌

題しらず     よみ人しらず
267「昨日こそ早苗取りしかいつのまに稲葉そよぎて秋風ぞ吹く」

「昨日苗代から苗を取って移し植えたばかりなのに、いったいいつのまに稲葉もそよいで秋風の吹くようになったのか。時の経過の早さには驚かされることだ。」

岩波文庫『定家八代抄(上)』p.80より

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先日の日記で、旧暦7月「文月」は「稲の穂が実る月(穂含月:ほふみづき)」に由来するということを書いた。
そういえば、「稲穂」にまつわる和歌というのをあまり見たことがない。
平安貴族にとって、稲穂は興趣を誘うものではなかったのか。

「秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」

これは百人一首の最初の歌だから有名だが、それに続く歌が思い当たらない。
そもそも、この歌は万葉集に起源がある古い歌であり、平安の貴族の歌ではない。

というわけで、『定家八代抄』の「秋」を見ていたら、上の歌があった。
古今和歌集の歌だから、何度か目に触れてはいたはずだが、思い出せなかった。
心ここにあらざれば、視れども見えず。
(「心不在焉、視而不見」『大学』より)
もっとも、この歌も「よみ人しらず」であり、いつの時代の歌か分からない。

「帯とけの古典文芸」では、この歌を「厭き風」から男に捨てられた「女の恨み心の歌」として解している。ちょっと深読みのしすぎのような気もする。
https://blog.goo.ne.jp/87108/e/33ceb2f6c7361eb086a673f4b68d5e3d

また、この歌は藤原公任の歌論『新撰髄脳』で「中品下」として紹介されていた。
https://blog.goo.ne.jp/87108/e/f64cf5e97f8807c8f4426a328bd28708

なお、調べてみたら「万葉集」には「稲を詠んだ歌」が少なくないようだ。
万葉の時代から時代を下るに従って、和歌の作者たちの関心が「稲穂」や「稲葉」から遠ざかっていったのだろうか。

◆文月朔日(2018年08月11日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1967853852&owner_id=2312860
◆たのしい万葉集: 稲(いね)を詠んだ歌
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/ine.html
◆この歌について
http://www.milord-club.com/Kokin/uta0172.htm
http://wakastream.jp/article/10000402uUeg

◆公任歌論集
(1)新撰髄脳(2018年06月25日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1967197394&owner_id=2312860
(2)新撰髄脳の撰歌(2018年06月29日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1967241081&owner_id=2312860

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