「もゝしきの大宮人もむれゐつゝこぞとやけふをあすはかたらん」藤原師氏『新勅撰和歌集』巻第六「冬」より大晦日を詠った歌を探していたら、『新勅撰和歌集』にこの歌があった。漢字を当ててみる。「百敷の大宮人も群れ居つつ、去年とや今日を明日は語らん」
「ここに展開するのは、作家の大木年雄、日本画家上野音子、その若い女弟子坂見けい子の綾なす抒情と官能のロマネスクである。美徳も悪徳も、生きる存在のすべてが悲しみにおいて睦み合い、不条理な感情の起伏が、過去から現在へ、揺れ動きつつ流れてゆく幽暗
知人が、城山三郎と平岩外四の対談集『人生に二度読む本』(講談社・2005年)を出して「この中で何冊を読んだことがある?」と聞かれた。並んでいたのは、以下のような書名だった。(01)夏目漱石『こころ』(02)アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』(03)
168 「気ばらし。−−人間は、死、悲惨、無知をいやすことができなかったので、自己を幸福にするために、それらをあえて考えないように工夫した。」 169 「 それらの悲惨にもかかわらず、人間は幸福でありたいと思う。幸福でありたいとしか思わないし
「 2013年12月16日(月)――。 私は、この日のことを、生涯忘れないだろう。」 「 今から70年ほど前に、康成はこの巻を1冊ずつ手にとって、全巻を読破したのだ。その康成手沢本(しゅたくぼん)を、いま自分は手にとっている……感激と興奮で、私は身体が
「たとえば大木は『源氏物語』を註釈本や小型文庫本、つまり今のこまかい活字本で読んで来たが、ある時、北村季吟の『湖月抄』の木版本で読むと、ずいぶんと印象がちがった。さらに遠くさかのぼって王朝のころにあの美しい仮名書きの筆写で読んだ印象はどうで
「 戦争中に私は東京へ往復の電車と燈火管制の寝床とで昔の「湖月抄本源氏物語」を読んだ。暗い燈や揺れる車で小さい活字を読むのは目に悪いから思ひついた。またいささか時勢に反抗する皮肉もまじつてゐた。横須賀線も次第に戦時色が強まつて来るなかで、王