江戸っ子は、高価な初鰹を食べるためなら
女房を質に入れることもいとわなかった。
貧乏だった落語家の志ん生は、高座で着る羽織を持っておらず、
師匠に借りるのだが、その羽織を質に入れて、酒を飲んだといわれる。
中には、自分の十八番にしているネタを質に入れた落語家もいたという。
その当時、質に入れることを“まげる”といった。
品物を担保(質草)に金を借りる、品物は期限になったら、
利子を払って引き取る、期限をすぎたら質屋が処分するのだが、
これを“流す”といった。
そこから質流れ品という言葉が生まれた。
まげる、流すとはなかなかいい言葉だ。
担保を置いてあるので、現代のような多重債務になる心配もない。
質屋というのは、いつも金のやり繰りに苦労していた庶民にとって重宝な存在で、
最盛期には2万軒あったが、現在では3千軒ほどに減少したそうだ。
金利の低い金融商品が登場したこと、現金で引き取ってくれる専門店や
リサイクルショップが増えたことが、質屋減少の原因となっている。
ある調査では、20歳代の4割が、質屋の商売自体を
知らないと答えたそうだ。、
“惚れた亭主のためならば、恥を忍んで暖簾をくぐる”
そんな質屋通いの恋女房は、遠い昔のはなしになった。
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