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2024年04月15日16:52

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休みながら愚痴りながら、その2

 公共の場で愚痴をこぼすのは止めたい、と、そう思って来た。同じような理由で公共の場で政治的なことを語るのも止めたい、と、そう思って来た。この二つは同じようだが理由は大きく違う。愚痴というものは、そもそも、公共の場でこぼすようなものではない。ゆえに、それはしたくない。しかし、政治というのは、そもそもが公共の場でこそ語るべきで、むしろ、それを密室で語るほうが如何わしい。
 では、どうして、筆者は公共の場でそれを語らないようにしていたのか。それは筆者だからなのだ。筆者の本業はエロ本屋なのだ。エロ本の仕事がなくなっても、それは変わらない。そして、エロ本に政治はいらないのだ。それが体制でも反体制でもエロ本は作られなければならない、と、それが筆者の信念なのである。
 エロ本屋なのだから、公共の場で政治を語る必要はないし、その資格もない、と、そう考えているわけだ。
 それはサッカーのために集まったチームで政治を語るようなもの、コーラスのために集まったグループで政治を語るようなもの、休日のキャンプ場で、バーベキュー場で政治を語るようなものだからだ。サッカーのチームで音楽を語ることも、ギャンブルを語ることも、エロを語ることもいいだろうが、政治と宗教は、それを語るべきではない、と、筆者は、そう考えているのだ。
 しかし、その信念も揺らぎはじめている。今の社会があまりにも不自然だからだ。
 筆者はエロというのは反体制なのだと信じていた。頭の固い保守がポルノを嫌い、権力として、それを取り締まるのだと思っていたのだ。しかし、今は、逆になっているように思うのだ。フェミニズムが屈折したように思うのだ。
 では、体制としてのポルノと反体制としてのポルノは何が違うのか。そんなことを書きたくなった。当たり前だが、エロ本屋の筆者が理論を語っても仕方ないので、それを短編小説で具体的にやってみるというのはどうだろうか。反体制ポルノ小説と体制ポルノ小説、告白、エッセイ、ルポもある。いっそ、反体制ポルノ雑誌と体制ポルノ雑誌に掲載すべきと思われる小説やエッセイやルポを交互に書いて行くというのも面白いかもしれない。いや、やはり、そんなことをやっていいほどの人間では筆者はないので、止めておこうか。
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