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2024年05月13日16:45

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日陰の達人、闇夜の天才、その16

性技の達人、その4

 撮影の後、いつもなら、編集者たちと一緒に打ち上げに行くのだが、その日、筆者は夜に仕事があり、自分の車を使っていたので、打ち上げは遠慮することになった。ところが、達人と言われた男も、打ち上げに行かずに、そのまま横浜に行くという筆者に、自分も横浜に用事があるので便乗させてくれないか、と、そう言って来た。撮影後に打ち上げがあるのは、いつものこと、たいていの男は、この打ち上げを喜ぶ。もしかしたら、モデルの女の子と特別に親しくなれる可能性があるかもしれない、と、そう思うからだ。少なくとも筆者はそうだった。そして、そうしたことは一度もなかった。一度もないのに、今度こそは、と、そう期待する愚かなエロ本屋だったのだ。少なくとも筆者は。
「横浜のどこに」
 撮影場所は千葉だった。筆者は高速道路に乗ってから、そんな質問を男にした。
「どこでもいいです。私、横浜に住んでいるので、そこからは電車で帰りますから。奥田さんの都合の良いところで落としてください」
 横浜に住んでいる。つまり、彼は自宅に帰ろうとしていたのだ。
「何か用事があったのではないのですか」
「いえ、すみません。帰るだけです。私、打ち上げとか苦手なものですから。別に嫌いじゃないんですけど、そのう、疲れてしまうので、ちょっと、撮影後とか、辛いんですよ。それ、奥田さんも同じなのではないですか」
 同じだった。モデルの女の子と特別な関係になれるかもしれないので、それを妄想して打ち上げには参加したいのだが、その反面、気を使い続けることに疲れてしまうというのがあったのだ。
「そうですか。じゃあ、横浜駅でいいですか。そこで、SMクラブの取材があるんですよ」
「もちろんです。ありがとうございます。奥田さんも気を使うタイプだなって、撮影で分かりました。私が舐めている間は、髪とか撫でているし、私が指を使えば、そこにカメラマンが入りやすいように身体を躱してましたよね。鍛えられているんだなあって思いました」
「撮影ですからね」
「奥田さんは、撮影のために動くわけですよね。私は女性が感じることが出来るように動くんです。だって、ほら、こんな容姿ですし、会話が上手なわけでもないですからね。だから、もう、女性が嫌がらない、少しでも気持ち良くなること、快感のあるように、と、そればかり考えて動いてしまうんです。だから、カメラマンに叱られるんですよ。邪魔って、ね」
「でも、だからこそ、性の達人とか言われるわけでしょ」
「そんなキャラを付けてくれたんですよ。達人というキャラがあれば、こんな汚いオヤジが撮影にいて、女性とからむ理由になるからですよ。そうでないと、女性が、どうして、こんなオヤジがいるの、気持ち悪い、からませないでよって、そうなるかもしれないでしょ。あの人、そういうところまで考えるんですよ。エロ本の天才ですよ」
 確かにそうなのだ。達人を筆者に見せたかった男は、エロ本の編集者として、実に有能な男だったのだ。しかし、彼は、筆者の車の助手席に乗って、ぼんやりとしている、この男のことは、本当に達人だと信じていたように筆者には思えた。
「でも、舌とか指とか、やっぱり自信があるわけでしょ。方法とか」
「ないですよ。ただ、好きなこととか嫌いなこと、絶対にされたくないこと、強いほうがいい、弱いほうがいい、いろいろ聞いておいて、その通りにしているだけですよ。女性に合わせるので必死なんですよ。私の場合は、少しでも女性が嫌なことをすれば終わりですからね。これがイケメンだったら、少しぐらい嫌でも女性は我慢するでしょ。でも、こっちは気持ち悪いオヤジですから、少しでも嫌な思いさせたら、そこで終わりなんですよ。だから、もう、常に必死ですよ」
「そこまで必死になってやる仕事ですか、エロ本」
「同じですよね」
 同じだった。そこまでしてエロ本に拘るのは、それ以外で女性とエッチなことなど出来るチャンスがないからなのだ。エロ本屋にならなければ、大金持ちになって金の力でそれをするしかないのだ。大金持ちになるのは難しい。だからエロ本屋になったのだ。そして、エロ本屋になれたからには、それを手放すことなど考えられなかったのだ。
「それはそれで、エロ本屋としての性技を極めたってことで、やっぱり達人なんじゃないですかね」
 それは筆者の本音だった。相手の女性に合わせ臨機応変に舌と指を動かすことが出来るのだから、それはそれで、凄いことなのだ。この舌技でどんな女性も感じさせられるとか、この指を使えばエクスタシーに確実に導ける、と、そんなことを言う人が筆者は嫌いだった。しかし、彼は違っていた。彼は自分は女性にモテないから、嫌われないように必死に相手に合わせるのだ、と、そう言うのだ。
 自分の快楽をいっさい無視して、ただ、女性の好むところに合わせるという性技。それはそれで達人の技なのに違いない。横羽線から工場夜景を眺めながら、筆者は、有能な編集者のしたり顔を思い出し、不機嫌になった。不機嫌な気持ちで、こんなことを思った。
 分かりましたよ、彼は、達人でした、と。
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