風流は道に近い。
俳句や、書道、絵画、陶芸、
いずれも、少しめんどくさい。
あるいは、インドアと言える。
アウトドアもダメではない。
ただ、心を騒がしくするため、そういったものは良くない。
ドライブや海などだ。山や海は、そこに寂しく過ごすなら、良いものだ。
インドアでも、ゲームは良くない。すぐに時間が過ぎるし、
熱くなってしまう。
時間がゆるりと感じられるのが良い。
ゲームでもするなら、二時間までと、制限できれば良い。
しかし、始めの内は無理だ。禁止した方が良い。
寂しく過ごす、あるいは、心を空しくする。
静かに過ごす。それが道だ。
勉強は静かに過ごすようで、憂鬱を呼ぶ。
ただ本を読むなら良い。ノートを用意して、など本気の場合は、いずれ、憂鬱になる。
良くない。
読経や坐禅も、道のもの。
ヨガも本来は道のものだ。
であるから、慣れれば、読経と坐禅、草むしりや掃除などで、
日を過ごせる。
ただ、引き籠りとは違うので、たまには、外出もする。
あとは家事手伝いだ。
実はこれらは、暇だから、やるに近い。
余分にエネルギーを使わず、疲れを取れるから、
できるのだ。
そうなれば、道は成る。
心に心を向ける。ひたすら、心に向き合う。
心を考える。心を観る。
そういうあり方だ。
これを道と言う。
始めの内は、固い岩を穿つようだが、
そのうち、流れを通すような瞑想になる。
そのうち、沈殿ろ過するような瞑想になる。
さらに、湧き出る処を壊すような瞑想もある。
日陰に陽を当てる瞑想もある。
陽とは意識の光である。
さらに、道路の敷石を砕くものもある。
いずれも自我においてである。
総てを壊せるなら、首楞厳三昧である。
あるいは、菩提樹下の三昧であろう。
これらは、道の基盤を確固にし、
静けさ寂しさを、よく体現して、
啓かれる。
ただ、至り難きために、
説法があり、師がある。
始めはインドアである。
風流である。
奥深くに至れども、たまには、遊ぶのも良い。
たまには、できれば良い。
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