mixiユーザー(id:48131024)

2020年04月07日20:11

101 view

仏教の生活

風流は道に近い。
俳句や、書道、絵画、陶芸、
いずれも、少しめんどくさい。
あるいは、インドアと言える。
アウトドアもダメではない。
ただ、心を騒がしくするため、そういったものは良くない。
ドライブや海などだ。山や海は、そこに寂しく過ごすなら、良いものだ。
インドアでも、ゲームは良くない。すぐに時間が過ぎるし、
熱くなってしまう。
時間がゆるりと感じられるのが良い。
ゲームでもするなら、二時間までと、制限できれば良い。
しかし、始めの内は無理だ。禁止した方が良い。
寂しく過ごす、あるいは、心を空しくする。
静かに過ごす。それが道だ。
勉強は静かに過ごすようで、憂鬱を呼ぶ。
ただ本を読むなら良い。ノートを用意して、など本気の場合は、いずれ、憂鬱になる。
良くない。
読経や坐禅も、道のもの。
ヨガも本来は道のものだ。
であるから、慣れれば、読経と坐禅、草むしりや掃除などで、
日を過ごせる。
ただ、引き籠りとは違うので、たまには、外出もする。
あとは家事手伝いだ。
実はこれらは、暇だから、やるに近い。
余分にエネルギーを使わず、疲れを取れるから、
できるのだ。
そうなれば、道は成る。
心に心を向ける。ひたすら、心に向き合う。
心を考える。心を観る。
そういうあり方だ。
これを道と言う。
始めの内は、固い岩を穿つようだが、
そのうち、流れを通すような瞑想になる。
そのうち、沈殿ろ過するような瞑想になる。
さらに、湧き出る処を壊すような瞑想もある。
日陰に陽を当てる瞑想もある。
陽とは意識の光である。
さらに、道路の敷石を砕くものもある。
いずれも自我においてである。
総てを壊せるなら、首楞厳三昧である。
あるいは、菩提樹下の三昧であろう。
これらは、道の基盤を確固にし、
静けさ寂しさを、よく体現して、
啓かれる。
ただ、至り難きために、
説法があり、師がある。
始めはインドアである。
風流である。
奥深くに至れども、たまには、遊ぶのも良い。
たまには、できれば良い。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する