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2020年04月07日17:58

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仏教の苦

仏教の言う苦しみとは、思い通りにならぬ、と言う。
しかしながら、新たな見解がある。
苦しみとは、不浄に充る事である。
貪り、欲望、怒り、眼は美しいを求め、執着し、
イメージに過ぎないものを、抱え込み、
自我を逞しくする。無常無我であるに、
自我は、様々蓄える。
これらは、知らぬ事からくる。
無常無我を知らぬ事、考えぬ事である。
肉体は不浄の者、いつか朽ちる者である。
執着すべき者では無い。空と言える。
苦しみは、知らぬ事からくる、考えぬ事からくる。
それは空を知らぬ事、考えぬ事である。
しかるに、集め、蓄え、執着し、肥大する。
苦しみの新しい解釈とは、この事である。
この見解はどこから来るか?
不浄受苦、無常無我から来る。
仏や悟りとは、無常無我を完成させた者である。
無常無我を明らかに完成された者は、
偉大な知恵を持つと言える。
即ち、苦の真実と、その解除の法である。
無常無我は偽りであろうか?
そうではない。であるならば、
考え、心を定めるべきである。
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