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2015年07月17日13:30

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その場所には熱があった(10)

 その女は髪を振り乱し、着ていたブラウスを自ら引きちぎって筆者に「書いてよ」と、叫んだ。彼女は横浜の元町出身だと言っていた。もちろん、嘘だった。元町のことなど何も知らなかった。
 その夜、筆者はカーナビもないまま、横浜の元町近辺を走り周らされた。そこに彼女の実家があると言われたのだ。もう少しで思い出す。酔っているから少し分からなくなっている。随分と家に帰っていないから分からない。彼女は言い訳けを繰り返した。取材しながら、相手が酔っ払うのはよくあることだった。そうした風俗嬢を家に送り届けるのも取材の謝礼のひとつと筆者は考えていた。
 たいていは、どれほど酔っ払っても家まで送り届ければそれで終わりだった。家に筆者を驚かせるような男がいることは何度もあったが、それは問題ではなかった。そうした男の多くは、筆者と同じように、女に食わせてもらっている男だったからなのだ。同族なのだ。ヒモも、風俗経営者も、そして、エロ雑誌編集者も。
 ところが、彼女は、実家に帰ると言ってきかなかったのだ。未成年の自分を風俗に売りとばした母親に文句を言いに行くと言い出したのだ。取材で過去を洗い過ぎた結果だった。インタビューは危険を察知して適度なところで逃げなければならないのに、若い筆者はミスをしたのだった。
 こうなれば彼女の酔いが醒めるまで、言われたままにドライブをするしかないと割り切り、運転していた。
 彼女は車を停めさせると、小学校の隣の児童公園に駆けこんで行った。そして、自分のことを書いてくれ、書いてくれるなら、何でもする。お金も払う。身体が欲しいなら、いくらでもやらせてやる、と、喚きはじめた。ブラも引きちぎろうとしたが、それは上手く出来ずに、乳房だけが露わになった。これ以上は不味いだろうと、筆者は、彼女を抱きしめた。他に何をしていいのか分からなかったのだ。抱きしめて背中を叩くと、彼女は安心したように、しなだれかかって来た。
「横浜のわけないよね。今日の話は全部が嘘。親に売られたのだけが本当。書いてなんか欲しくない。書かれたくない。帰して」
「どこに」
「渋谷。店に泊まりこんでるんだよ。行くとこなんかないからさ」
 公園のベンチでホットの缶コーヒーを飲みながら、筆者は、彼女に、嘘の自伝を書くことを約束した。彼女は缶コーヒーを飲んで「甘いね」と、言った。
 元町は複雑過ぎる。カーナビで小学校を検索し、全ての小学校の周辺を走ったのだが、あの公園は見つからなかった。車を降りてアップダウンを歩くと汗が滲んだ。あのときは寒い冬だった。ただ、缶コーヒーだけが熱かったのだ。そして、甘かったのだ。あの後、筆者は甘いコーヒーが飲めなくなったのだ。あの小さな公園。もう一度行ってみたかった。
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