核を持つことが核戦争の抑止力になる。
二律背反した論理に思えるが、
これがいかに無力な論理であるかが
今回のウクライナ侵攻で明らかになった。
ウクライナに侵攻したロシアが匂わしたのが、
戦略核の投入だ。
核抑止力によって、縛りがあるように見えるが、
それは使えば地球が滅ぶから、“使わない”“使えない”という
暗黙の前提にすぎない。
しかし、“使うかも”となったとたんに、
抑止力のくびきが外れ、別の局面になった。
つまり、ロシアが使うかもと匂わしたとたんに
同じ核保有国の米国は、まるで借りてきた猫のように
大人しく、無力になってしまったのだ。
人道を無視するロシアの暴虐を止めようとする、
NATOも武器の供与など軍事支援を躊躇してしまったし、
バイデン大統領などは、
犬の遠吠えのように、批判するだけだ。
国連も批判や制裁決議が精一杯で、手も足も出せない。
核抑止力というご都合主義の発想が、
いかに愚かであるか、世界は気づくべきであり、
日本は核なき世界実現にリーダーシップを発揮すべきだ。
ましてや「核の共有論」などは、抑止力にも何もならないことは
はっきりしている。
ログインしてコメントを確認・投稿する