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2015年08月15日14:05

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社会的現実-保守と革新(3)

戦後の日本の政治の現実においては、保守も革新も、それぞれの理念的な類型からは、かけ離れた姿になっている。
それは、戦前から続く我が国の歴史構造、戦後に生まれた冷戦という国際的な政治構造に依存し、あるいは深く影響を受けたものである。

日本の保守は、保守の本来の理念から離れ、既存の経済的・社会的政治的な権益を擁護するための政治的勢力となってしまった。
それが保守するところの中心は経済的権益である。
保守の原理的な理念からすれば、大規模に国土を汚染する可能性がある原子力発電所などは、容認しがたい存在だろう。実際、そのような保守派もいる。
■保守・右翼の脱原発宣言
http://www.magazine9.jp/kunio/110622/

ただ、保守派および右翼の多くは、原発を容認しているようだ。その理念的根拠のひとつは、「経済主義」であり、もうひとつは反「左翼」である。前者は経済的利益のためにリスクに対して目をつぶる者たちであり、与党の政治家や経済界の大半が、この部類に入る。後者は、ネット右翼や比較的若い安倍政権支持者に見られる態度で、「左翼」や「市民」による「反原発」を「非現実的」とあざ笑う(あるいは暴力によって攻撃する)ことで自己満足に浸っているようなタイプだ。その立論を読んでも、あまり得るところはない。
■反「左翼」に過ぎない「右翼」による暴力事件の例
http://www.sankei.com/affairs/news/150810/afr1508100012-n1.html
http://www.sankei.com/affairs/news/150507/afr1505070030-n1.html

前回の日記で、革新的な思潮の底流にあるものとして、「平和主義」と「社会主義」を挙げた。
日本の平和主義には、振り幅の広いものがあるが、それは根強いものでもある。
第一に、それは「憲法」の基本原理のひとつでもある。安倍政権の安全保障関連法案が「戦争法案」と呼ばれ、未だに過半の国民の支持が得られないでいる理由のひとつは、戦後の日本国民の意識に深く染み込んだ「平和主義」のおかげ(せい)であると思う。それだけ、あの「戦争」(「敗戦」)という経験は重かったのだ。
(戦争法案を通そうとする保守は、この国民的経験に向き合い、そこから説得する言論を構築すべきだ。もし出来るのであれば。)
ただ、この平和主義は、極めて「内向き」だ。現実の国際情勢に対して敏感であり現実的であるかどうかは、保障されていない。国外の現実を視野に入れていないと言う意味では、戦前の好戦的な国民意識と裏腹なところがあるかも知れない。
また、反「戦争」の反戦が、反「軍事」となり、軍事的なものに対する生理的な拒絶反応となり、軍事的な要素も含んだ政治的に合理的な判断を妨げている可能性もある。

社会主義は、理念としても破綻した。
官僚制に依存しない経済運営は可能か。市場以上に効率的な経済調整は可能か。そうした問題については、現実的にはもとより、理論としても解決されていない。
今、革新は、拠って立つべき理念を喪失しているように思われる。
そのため、「革新」は、現行の体制に対する「反対派」でしかなくなっている。

「反対」の向こう側で何を構築していくつもりなのか。そのことを説得力を持って語る力が、現在の日本の革新には欠けているように思われる。

■保守と革新
(1)基本思想(2015年08月13日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945071769&owner_id=2312860
(2)戦後日本(2015年08月14日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945097155&owner_id=2312860

■「冷戦」に関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1152333194&owner_id=2312860
■人間の知識についての日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1152319464&owner_id=2312860
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