mixiユーザー(id:2312860)

2015年08月14日21:12

435 view

戦後日本-保守と革新(2)

保守も革新も政治的な立場であるから、その時と場所に応じて、さまざまな歴史的・社会的制約を受ける。
戦後の日本の政治を振り返ってみると、保守にも革新にも、それぞれに偏向があった。

保守に関して言うと、その経済主義が挙げられる。
保守思想の核心には、基本的には経済主義は含まれていない。急激な経済的変化は、それに応じた社会変化を生む。だから本来の保守思想にしてみれば、経済主義は望ましくないものとも言えた。経済主義は、多くの場合、伝統的なモノの破壊者でもあった。
しかし、戦後の日本の保守政治は、経済の「高度成長」を旗印とした。それだけでなく、福祉国家さえ目指した。つまり、経済に関しては、相当に「革新」的な要素を取り込むことによって、日本の保守は、その支持基盤を守ってきたのだ。

革新の側について言うと、平和主義と社会主義がある。
革新的な思想そのものには、時には暴力的なものも含まれる。軍事的な左翼思想というものもあり得るわけだし、現にある。だから、革新思想の全てが、平和主義というわけではない。
しかし、戦後日本の革新勢力は、戦前・戦中の日本の軍国主義に対する批判をバックボーンにしてきた。そのため、平和主義に対する執着が根強い。平和主義そのものは結構なことだが、軍事的ないし国際政治的には極めて未熟な政策までが、平和主義という甘美な理念の下に支持されるような傾向もあった。

米国に対する態度にも、保守と革新のそれぞれにネジレがある。
そのことを考える前に、時間を遡って明治維新について触れてみたい。
維新派は、当初は「王政復古」を目指す保守派として表れた。保守派としての思想的一貫性は、「尊皇」と「攘夷」を結びつけたところにある。「開国」は、確かに保守の理念に反するはずである。しかし、幕末の維新派は、「尊王」の御旗を掲げたまま、「攘夷」は簡単に引き下げた。ここに、日本の保守派の現実主義を見ることができる。
同じように、戦後の日本の保守派は、親米の立場を採った。反米の保守もいないわけではないが、それは今も昔も少数である。戦後の保守が親米に傾いたのは、冷戦構造によるところが大きいだろう。あの二極対立の構造の中では、米国を頼りにするより他に、日本の保守が選びえる現実的な選択肢はなかった。

戦後の革新は、進歩的な「日本国憲法」に対して護憲の立場を採る。この憲法の基本理念は、米国によって作られたものだ。だとすれば、革新は親米的になりそうなものだが、実際にはそうならなかった。冷戦構造の中で、革新の側は一貫して「反米」の旗を掲げ、ある者は「東(共産圏)」との関係を維持し、あるいは「第三世界(後進国)」との連帯を唱えるようになる。
つまり、日本の革新は、理念としては「米国」的なものを信奉する一方で、現実的な国際政治のアクターとしての「米国」を否定した。

たとえば、原子力発電の存続に対する賛否についても、一種のネジレがあるように思われる。
思想のレベルで言えば、「保守」の方が、このようなリスクに対して敏感であるべきではないかと思う。反対に、「革新」の方が、このような可能性に対して積極的であるべきなのではないかと思う。

ただ、日本の政治の文脈の中では、そうはならなかった。
現実は、思想や理念を裏切るのである。

■保守と革新
(1)基本思想(2015年08月13日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945071769&owner_id=2312860

■「冷戦」に関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1152333194&owner_id=2312860
■人間の知識についての日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1152319464&owner_id=2312860

3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する