西洋のドラゴンは火の生物です。東洋の龍は水の生物。どちらも空を飛ぶ空想上の生物で(少なくとも動物園で見ることはできません)名前が「龍」と日本で呼ばれること以外、まったく共通点はありません。【ただいま読書中】『そして最後にヒトが残った ──
昔話でお爺さんが山に行くのは普通ですが、お婆さんは親孝行息子に山に捨てられてしまいます。そこで何とかサバイバルに成功するとこんどは「山姥」と呼ばれて恐れられることになります。【ただいま読書中】『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』
家電量販店にたまに行くと、その品揃えに圧倒されます。こんなにたくさん売りたいのだ、という迫力に満ちていますから。で、その“前”の段階、製造会社の製造ラインにはもっとたくさんの製品がぎゅうぎゅうに整列しているのでしょう。 だけど、「家電の販
人魚って、要するに半魚人ですよね。ところで、乳房があるところから見ると哺乳類のようですが、海中で体温を維持するためには相当食べて皮下脂肪を蓄えないと保たないのではないか、と思えるのですが、体温はどのくらいなんでしょう。ずっと水中で過ごすた
もしも宝くじの一等が当たったら、贅沢な暮らしをするぞ、なんて夢想をすることもありますが、その賞金をぽんとどこか社会の役に立つところに寄付をする、というのも豪気で贅沢な話ですよね。宝くじは買わなきゃ当たらないし、買っても当たらないのですが。
「ユダヤ人」は劣等人種だ、と主張してその根絶を画策したのはナチスでした。では第二次世界大戦後「ドイツ人はひどいことをした」と主張して「ドイツ人」を罰することを主張した人々についてはどうでしょう。「ユダヤ人は××だ」と「ドイツ人は××だ」と
高校の頃だったかな、プロレス好きの級友の間で「プロレスは真剣勝負をしている」「いや、あれは八百長だ」という論争がありました。論争よりも実技が好きな連中は、プロレス同好会を立ち上げて、文化祭では公開試合をおこなったりしていました。あばら骨の
私はブログでは「95%以上の正しさ」を目指しています。最初から「間違えること」は目指しませんが、変換ミスとかタイプミス、思い込み、勘違い、書いた内容が古い、参照資料自体が間違っていた、などはどうしても混じり込むと覚悟しています。 ところでこ
若者には、経験も知恵も豊かさもあまりありません。だったらせめて馬鹿さのない若さに、なんの価値があります?【ただいま読書中】『チェーホフ短編集』チェーホフ 著、 沼野充義 訳、 集英社、2010年、1600円(税別)http://www.amazon.co.jp/gp/product
そろそろ発動させる必要がありそうですが、とりあえずの目標は「2年で支持率を2倍に、不支持率を1/2に」でどうです?【ただいま読書中】『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』J・ケイン 著、 田中小実昌 訳、 講談社文庫、1979年、160円http://www.amaz
「そこに山があるから」はマロリーのことばですが、実はこれは誤訳で「なぜエベレストに登るのか?」という問いに「そこにエベレストがあるから」と答えたのだそうです。ところで「他人が山に登る理由をあなたはなぜ知りたいのか?」とマロリーに問われたら
クロマニョンは私は昔はクロマニヨンと習った覚えがあります。これは「Cro-Magnon」洞窟で発見された人骨化石に名付けられました。ところがネアンデルタールは「ネアンデル渓谷(タール)」で発見された人骨化石なのだそうです。すると、もしかしたらネアン
妄想を軽く否定する文化では、妄想と同じく「個人の強い思い」にその基盤を置く「愛情」や「希望」も、あまり重く扱われないかもしれません。【ただいま読書中】『ポビーとディンガン』ベン・ライス 著、 雨海弘美 訳、 アーティストハウス、2000年(01年
「ちょっと様子を見てくる」と海岸や川岸に行く人は、「様子を見」て「異常」だったら何をして「正常」だったら何をする気なのでしょう? 自分の命をわざわざ危険にさらすのですから、よほど大切な行動をする気だ、と思えるのですが、私には(特に水位が異
殴ることを「手をあげる」と言いますが、手をあげるだけで勢いよく振り下ろさなければ、それほど問題ないのではないです?【ただいま読書中】『シドモア日本紀行 ──明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア 著、 外崎克久 訳、 講談社学術文庫、2002
ポツダム宣言を読みもしないでその内容を否定している人もいますが、そういった人はそれが発せられた歴史の“文脈”も知らないのでしょうね。もしかしたらポツダムがどこにあるかも知らなかったりして。そうそう、ポツダムが世界遺産だ、ということは皆さん
日本の新生児の死亡率は、世界的に見たら異常な低さです。一つの数字ですべては判断できませんが、少なくとも日本の産科医療が国際的に異常にレベルが低い、とは言えないでしょう。しかしマスコミは「出産事故」などがあったら「日本の産科医療はどうなって
「日本創生会議」は、「地方に老人を輸出しろ、なんて言っていない。行ける人は行った方が幸福な人生が歩める、と言っただけだ」と言い訳をしていますが、私にはそれは「東京を助けるためなら何でも提言する」と見えます。要は東京で「老人>>若者」になる
戦争と戦争の間を平和と呼ぶのだったら、冷戦もまた平和の別の呼び名だったと言えます。だったらかつての冷戦は、ベルリンの壁やソ連の崩壊で終わったのではなくて、プレイヤーをロシアや中国に変えて別の形の冷戦として現在も継続中なのかもしれません。【
私は居合をやったことがありませんが、高校で剣道部に所属する同級生がその練習をしているのを目撃したことはあります。「竹刀と比べて重いんだよ」とこぼしていましたが、私のような素人の目にも、腰がふらついていて自分の脚を切るのではないか、と心配で
ツイッギーが来日してミニスカートブームが起きる前は、ミニスカートをはくのは芸能人などに限られていました。茶髪も1970年代には女子プロボーラーとか芸能人などに限られていました。だけど今では一般人がそういった「かつては芸能人専用のもの」をふつう
安保法制をめぐる国会議論を見ていると「戦争にはルールがある(そして皆がそれを守る)」が前提となっているように思えます。しかし、“反則”があった場合、それを指摘したり罰したりする“審判”が戦争の現場にいましたっけ?【ただいま読書中】『アフガ
現代日本社会を小説やルポで描くと、そこには「動物」の姿が非常に少ないことでしょう。出てくるのはペットか、あるいは「害獣」くらい。 だけど「ヒト」だけがこの日本に住んでいる動物ではないはず。動物“不在”の日本って、とっても「不自然」なことで
「責任は私にある」「看過できない」というのは、ずいぶん格好良くて何かを言い切ったかのような言葉です。だけど、それを言うだけでオシマイにして良いです? たとえば私の未成年の子供が何かとんでもないことをしでかした(私が親として子供の行為に責任
「茸雲」……松茸型、椎茸型、エノキ型などがある「瓦茸」……屋根瓦に生えるキノコ「肝臓茸」……肝臓に寄生する茸「編笠茸」……頭脳に寄生する茸(『地球の長い午後』)「茸狩り」……逃げる茸を追う競技「一夜茸」……一夜漬け専用の茸「舞茸」……舞う茸
日本が中国を侵略した時、臨時首都になった重慶に爆撃を行いました。これを連合国側は「宣戦布告もしないで都市に無差別爆撃をした」と非難しました。日本軍のハワイ奇襲も「宣戦布告がなかった」とものすごい非難です。 ところでベトナム戦争の時、アメリ
冤罪事件では、冤罪の“被害者(冤罪事件で逮捕や服役などひどい目に遭った人)”は「身に覚えがない責任」を問われて刑に服することになります。それに対して“加害者(冤罪事件を引き起こした人たち)”は「自分が問われるべき責任」を問われることはあり
自民党の「言論の自由」とは、報道機関を潰せと威圧する自由だったり国会で首相がヤジを飛ばしたりする「自由」だったようです? 憲法解釈がいつの間にか変更されているようですね。あの「自由」の出発点は「権力者からの抑圧に対する自由」だったはずです
2012年2月20日にここに『石巻赤十字病院の100日間』の読書記録を書きました。あの本で印象的だったのは、「地震と津波に襲われた大変さ」だけではなくて、「病院」が「救援の拠点」であると同時に「被災者」でもあることでした。被災者が被災者のために