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2015年07月15日07:05

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ポツダム

 ポツダム宣言を読みもしないでその内容を否定している人もいますが、そういった人はそれが発せられた歴史の“文脈”も知らないのでしょうね。もしかしたらポツダムがどこにあるかも知らなかったりして。そうそう、ポツダムが世界遺産だ、ということは皆さんご存じ?

【ただいま読書中】『ポツダム会談 ──日本の運命を決めた17日間』チャールズ・ミー 著、 大前正臣 訳、 徳間書店、1975年、1000円
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J9FXBI/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=B000J9FXBI&link_code=as3&tag=m0kada-22
 著者が訳者に「原爆はスターリンに向けて落とされた」と述べるシーンから本書は始まります。
 本書は「ポツダム会談」の議事録、およびそれに参加した人々への丹念なインタビューから生まれています。
 ドイツが降伏したとき、連合国の人々が考えたのは、残った日本をどうするか、ではなくて(どうせ日本の負けは確定ですから)、戦後の世界をどうするか(どう分割して支配するか)、でした。アメリカは戦争の“被害”を受けていません。ソ連は大国で強力な陸軍を持っています。イギリスには連邦があります。そこでトルーマンが“最後の切り札”として使おうと考えていたのが、原爆でした。
 1945年7月12日。天皇は近衛文麿をモスクワに特使として派遣することを決めます。目的は、ソ連を仲介に「無条件ではない降伏」の可能性を探ること。同じ日。アラモゴルドの実験場に原爆第一号が運び込まれます。
 イギリスは巨大な対外債務にあえいでいました。唯一の希望はアメリカに「友」と思ってもらうこと。しかし、ヨーロッパが疲弊している間に何らかの“戦利品”を大急ぎで得て大英帝国を再建するためには、米ソを敵対させる方がイギリスにはメリットがありそうです。チャーチルは危険な“火遊び”を始める決心をします。
 三者の会談を提案したのはチャーチルでした。場所を決めたのはスターリン。そして開催日を決め(それを延期した)のはトルーマンでした。延期には原爆実験が関係している、と著者は考えています。7月15日、チャーチルとトルーマンは首脳として初めて顔を合わせます。チャーチルは対日戦に英軍を出すことを提案しますが、トルーマンはすでに米軍だけで太平洋の戦争を片付ける気でした。ヤルタでルーズベルトに対してスターリンは8月8日までに対日参戦をする約束をしていましたが、これもトルーマンにとっては余計な手出しでした。しかしスターリンは、過剰なくらい様々な提案を振りまいてどうでも良いものは捨てるにしても大切なもの(東欧と極東での“戦利品”)はしっかりと確保する気でした。
 7月17日17時、第一回会議が開催されます。その時トルーマンは「原爆実験に成功」の知らせを聞いていました。そして、三者それぞれの目論見を持った神経戦が始まります。
 首脳会議と平行して行われた外相会議や経済担当者会議でも“神経戦”が展開されていました。下手をすると世界に影響が及ぶので、発言の名詞一つ接続詞一つでさえもゆるがせにはできないのです。
 「ドイツ賠償問題」はとんでもない難題でした。巨額の賠償でドイツをあえがせるのは、第一次世界大戦後の再現になりかねませんし、そもそも破壊されたドイツのどこから金が取れるのか、現実味がありません。さらに「ドイツ」の意味も再定義が必要になります。どこまでが「ドイツ」です? 外相会議は暗礁に乗り上げ、そこからドイツ分割案が浮上します。連合国内で妥協ができないのなら、「東」は「東」、「西」は「西」でそれぞれの賠償を取り立てる(あるいは取り立てない)のはどうか、と。つまり政治よりは経済によってドイツは分割されようとしていたのです。
 原爆についても、いつどのようにスターリンに知らせるかが問題となります。プレッシャーをかけず、しかし信頼される同盟者として嘘はつかずに知らせる必要があるのです。狐と狸の化かし合いのような複雑な“ゲーム”です。そしてチャーチルはそこから退場します。総選挙で保守党は負け、アトリーの労働党が政権を担当することになったのです(チャーチルはそのことを予測していたのか、ポツダムにアトリーを伴っていました)。
 あとはいつ原爆を日本に投下するかのタイミングです。早々に日本が降伏したら原爆が使えません。そしてソ連が参戦したら日本は降伏するでしょう。だけど「連合国」だからソ連の参戦を却下はできません。また、降伏条件から「無条件」の文字を外しても、日本は早く降伏する可能性があります。だから降伏交渉とソ連参戦と原爆投下の微妙なタイミング調整が必要になりました。
 日本にとって「国体護持」は悲願でした。非常にわかりやすい態度ですが、わかりやすいということは外交“ゲーム”では、手札をさらけ出してポーカーをするのに等しい態度です。それでは勝てません(著者は「20世紀初頭の外交」を、力だけではなくて洗練さも尊ぶ「ブリッジ」、「20世紀半ばの外交」は秘密と欺瞞と力の「ポーカー」にたとえています)。そして日本は、黙殺するのなら本当に黙って無視すれば良いのに、わざわざ「ポツダム宣言を黙殺する」と宣言してしまいます。これはトルーマンにとってはベストの筋書きでした。ちなみに本書では第15章が「mokusatsu」というタイトルになっていますが、日米は原爆投下へと“協力”しているのです。もちろんこれは結果論ですが、欧米の外交のシビアさに比較すると、日本の甘さが際立ちます。それはもしかしたら現代でも似た様相なのでしょうか。


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