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2015年07月20日08:22

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ネアンデルタールとクロマニョン

 クロマニョンは私は昔はクロマニヨンと習った覚えがあります。これは「Cro-Magnon」洞窟で発見された人骨化石に名付けられました。ところがネアンデルタールは「ネアンデル渓谷(タール)」で発見された人骨化石なのだそうです。すると、もしかしたらネアンデル人と呼ばれていたかもしれないのかな。

【ただいま読書中】『ネアンデルタール人奇跡の再発見』小野昭 著、 朝日新聞出版、2012年、1300円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/402259991X/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=402259991X&link_code=as3&tag=m0kada-22
 1858年ネアンデル渓谷(タール)の小フェルトホーファー洞窟で、石灰岩の採掘中に偶然「骨」が発掘されました。その大部分は洞窟外に捨てられ、たまたま社長が現地を訪れて興味を持ったため一部の骨だけが保存されました。それがネアンデルタール人研究の基準となる模式標本となった化石人骨です。ところが産業革命の勢いはすごく、採掘によってネアンデル渓谷はセメント用石灰岩を取り尽くされ今は平地となっています。当時の詳しい地図や写真もありません。
 これは化石研究では問題です。その化石が「いつ」のもので「どこ」で発見されたかがあやふやな標本は、資料的価値が低いのです。
 発見された「異常な形の人骨」に関する最初の論文が発表されたのは1859年。ロンドンでターウィンの『種の起源』(初版)が発行された年でもあります。「論争」が始まります。ネアンデルタール人とはいかなるものか、どんな生活をしていたのか、現生人類との関係はどうなのか、といったことに関しての論争は、実は今でも続いています。
 1980年代になってから、小フェルトホーファー洞窟がどこにあったかの調査が始まりました。場所が特定できたら、その近辺から骨や石器が見つかるかもしれません。1989年には化石資料からのDNA分析が可能になります。機は熟しました。
 1991年、シュミッツとティッセンは小フェルトホーファー洞窟の位置確定のプロジェクトを立ち上げます。それと同時にネアンデルタール人のDNA分析も。
 96年にDNA分析で「衝撃」が得られます。ネアンデルタール人はミトコンドリアDNAが現生人類の遺伝的変異の外にあることがわかります。平たい言葉で言えばネアンデルタール人は我々の御先祖様ではないのです。
 シュミッツとティッセンは、自分の博士論文を仕上げならが、さらにプロジェクトの資金を稼ぎ出すために働きながら、プロジェクトを着々と進行させます。その過程で二人は別の、採掘で破壊されて削平されてしまった遺跡の原位置を突き止める、という実績を積みました。そして97年発掘調査が始まります。
 「ここに捨てられた洞窟の堆積物がたまっているはず」と強い確信を持った地点を発掘し始めて3日、失われた洞窟の壁の残部の手がかりを二人はついにつかみます。得られた堆積物は、15kg入りの袋で700袋。石器や骨片なども場所をすべてきちんと記録しながら作業は綿密に進められました。その発見物の中に、とんでもない“お宝”が混じっていました。
 発見された骨片の年代測定は約4万年〜3万9千年前(ネアンデルタール人の最後の時期)。そしてその中の一つの破片が、100年以上前に発見された大腿骨の模式標本の欠損部に、ぴたりと接合しました。シュミッツとティッセンは、間違いなく、模式標本が発掘された洞窟の場所を特定でき、そこから投棄されて地中に眠っていた骨を発見したのです。
 奇跡の瞬間ですが、著者はここで日本での「石器捏造事件」も想起しています。何が違うかと言えば、研究のプロセスがオープンで記録が詳細、化石の管理もきちんとされていたことでしょう。
 2010年に、クロアチアで発見されたネアンデルタール人のDNA分析で、アフリカを除く現生人類のゲノムの1〜4%はネアンデルタール人との交雑による、という発表がありました。「論争」はまだ終わっていないようです。


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