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2015年07月28日06:47

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人魚の解剖学

 人魚って、要するに半魚人ですよね。ところで、乳房があるところから見ると哺乳類のようですが、海中で体温を維持するためには相当食べて皮下脂肪を蓄えないと保たないのではないか、と思えるのですが、体温はどのくらいなんでしょう。ずっと水中で過ごすための鰓はどこにあるのでしょう。全力で泳ぐときに「前」を見ると首の骨が無駄に傷みそうなんですが、そこはどうやってクリアするのでしょう。

【ただいま読書中】『日本の「人魚」像 ──『日本書紀』からヨーロッパの「人魚」像の受容まで』九頭見和夫 著、 和泉書院、2012年、2500円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4757606125/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4757606125&link_code=as3&tag=m0kada-22
 「人魚」は古今東西人気のある存在らしく、日本では『日本書紀』あるいはそれ以前の「八尾比丘尼の伝説」で人魚が登場しています。井原西鶴も「命とらるる人魚の海」(『武道伝来記』)で上半身が女、顔は美女、金色の鱗、匂いが強い「怪魚」を描きました。それを目撃した船上の人は泣き叫び失神するのですが、それは“日本の伝統(吾妻鏡や本朝年代記など)”で「人魚の出現」と「大事件(大乱とか大嵐)」とが結びつけられていたことの反映のようです。
 『日本書紀』では「魚にも非ず人にも非ず」の生物が漁夫に捕えられていますが名前は与えられていません。『聖徳太子伝歴』には「人魚」ということばが使われていますが、これは『聖徳太子伝歴』を書いた人が9世紀に日本に伝来した『山海経』から「人魚」という単語を拾い出したのではないか、との推測が本書ではされています。
 平安時代になると「人魚の声は小児が啼く声に似ている」という記述が登場します。人魚の形にも、魚の顔だけ人間・魚に人間の顔と手足付き・魚の上半身が人間、など様々なバリエーションがあります。南北朝時代の『太平記』では、人魚の油を照明に使うと昼のように明るくなる、とのことです。
 長崎のオランダ商館からヨンストンの『動物図譜』が鎖国時代の日本にもたらされましたが、その中にも「人魚」があります。その骨には止血効果があるそうです。中国から輸入された『本草綱目』にも「人魚」がありますが、こちらでも骨に止血効果が謳われています。偶然の一致かどちらかがどちらかに影響を与えたのか。新井白石の『外国之事調書』や大槻玄沢の『六物新志』……著者はすごいですね、とんでもなく様々な文献から「人魚」を拾い出しています。ここで特徴的なのは「人魚」が「妖怪」のジャンルに属するもの扱いであるのに「薬効」についても触れられていることです。
 明治になると西洋からさまざまなものがどっと日本にやって来ますが、その中に当然「人魚」もありました。中には「船人を惑わし滅ぼす」といったローレライの影響下かと思える「人魚」もいます。ただ明治時代がそれまでの時代と異なるのは「文学」の中で扱われるようになることです。江戸時代の妖怪は明治の世界には住み処が減っていたようですから、人魚も文学の世界で生き延びるしかなかったのでしょう。北原白秋、森鴎外、南方熊楠などビッグネームが次々登場します。大正になるとアンデルセンの「人魚姫」の影響が日本にも出始めます。谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』は、本書での紹介を読むだけで何かが堪能できた気分になります(図書館に予約をしました)。堀口大学の詩「人魚」(『砂の枕』収載)はセイレーンのような人魚です。
 私は人魚と言ったら「アンデルセンの人魚姫」か「八尾比丘尼の伝説」しか知らなかったのですが、昔々から「人魚」が日本に住んでいたことには、一種の驚きを感じました。そうそう、本書では八尾比丘尼の伝説についても詳しく述べてありますが、残念ながら高橋留美子の「人魚シリーズ」が登場しません。今の日本人(私より若い世代)には、「古典やブンガクの人魚」よりも「人魚シリーズ」の方が馴染みがあるのではないかと思えるんですけどね。


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