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2015年07月14日06:33

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厳しい評価

 日本の新生児の死亡率は、世界的に見たら異常な低さです。一つの数字ですべては判断できませんが、少なくとも日本の産科医療が国際的に異常にレベルが低い、とは言えないでしょう。しかしマスコミは「出産事故」などがあったら「日本の産科医療はどうなっている」と大喜びで叩きます。マスコミの視点からは日本の産科医療はレベルが異常に低い(叩き晒し罵るべき)もののようです。
 だったら、その“低いレベル”をどうやったら上げることができるのかの提言もしたらどうなのかな、なんてことも思います。もっともその前に「現状認識」が先でしょうけれど。

【ただいま読書中】『出産施設はなぜ疲弊したのか』中山まき子 著、 日本評論社、2015年、6000円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4535586640/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4535586640&link_code=as3&tag=m0kada-22
 日本では「出産」は法律で規定されています。「場所」は「施設(病院、診療所、助産所)」と「自宅」、専門職は「医師」と「助産師」。助産所で扱えるのは正常分娩だけですが、日本では全体の6〜7割が正常分娩だそうです。
 かつての日本では自宅分娩が圧倒的多数でしたが、高度成長期に施設分娩(特に病院と診療所)がどんどん増え、現在では自宅分娩はほとんどなくなりました(助産所はかろうじて1%あるかどうかです)。興味深いのは、グラフ上で自宅分娩率の減少と妊婦・新生児死亡率の減少がほとんどリンクしているように見えることです。偶然の一致かもしれませんが。
 1956年国民皆保険制度が始まり、庶民でも医療を割と気軽に受けることができる環境整備が始まりました。ほぼ同じ時期に医療機関への低金利融資制度も始まります。国民は「施設で出産」をするようになり、それと平行して開業助産婦は次々廃業していきました。しかし廃業した助産婦は施設への就職をせず、日本では助産婦不足が深刻となります(ただし厚生省は、統計の数字を根拠に不足していないと主張しました。実際には有資格者と実際の就業者の間に深刻なギャップがあったのですが)。そこで日本母性保護医協会(日母)は自前で日母産科看護婦養成を始めました。ただ、日母産科看護婦は公的な資格ではないことが問題となります。診療所の医師からは、有資格者よりも給料が安く自分の言うことを素直に聞く“准助産婦”の方が使い勝手が良い、という判断があったのかもしれませんが。
 1980年「富士見産婦人科事件」が起きます。無用な子宮摘出あるいは卵巣摘出手術が行われ、超音波検査をしていた理事長は医師免許を持っていなかったのです。とんでもない事件ですが、日母は危機感を持ちませんでした。
 無資格者による助産行為に対する批判も高まります。日母は国家資格を持たない人間には「産科看護助手」と名前をつけて業務させました。問い合わせには「医療行為はさせていない」と返答しますが、実際には内診や点滴をさせていることが医療ミスの訴訟などで明らかになっていきます。日母は「無資格者に医療行為をさせてはならない」と通達を繰り返し、さらに日母産科看護学院の入学者から無資格者を排除する決定をします。これにより無資格者に頼って分娩業務を行っていた開業医は、通達に従えば業務ができず、違法行為をしたら家宅捜査と書類送検を受けることになりました。特に1997年頃からその動きが激しくなっています。その結果、全国で小規模の分娩施設が続々と閉鎖します。
 もちろん「資格の有無」と「腕の善し悪し」は別の問題です。ただ、健康保険制度の下での医療行為を行うプロなら「資格の有無」はどうでも良い問題ではありません。最低限クリアするべき当然のハードルです。
 「助産所の嘱託医」も複雑な問題だったようです。お産が突発的に「正常分娩」から「異常分娩」に移行することは常に考えられます。だからいざという時のために助産所が医者と契約していて「異常分娩」になったら即座にそこに送り込む、となっていたら安心です。ところが本書を見ると、そんな単純な捉え方をする人ばかりではなかったようで、厚生省あるいは厚生労働省の資料にはやたらと小難しい理屈が並んでいます。文言は高邁ですが、現実の問題を解決する能力は高くなかったようで、だから「救急車のたらい回し」なんて問題が生じるのでしょう。というか、医療に限らず、緊急時への対応は日本政府の不得意とするところで(大災害の時によくわかります)、救急医療の制度をきちんと整備せずにお産の急変時に対応しろと現場に求める厚労省の態度には、私は黙って首を振るだけです(縦にじゃないです)。
 2004年に新しい臨床研修制度が始まりました。大学病院以外の病院でも研修を行い、しかも一つの科ではなくて多くの科を回るという研修プログラムです。これは「ドクターG」を大量生産する良い制度に見えますが、なぜか「医師不足」を日本中に強いることになりました。市中の病院に若手を取られた大学の医局は人員不足となり地方に派遣していた医師をどんどん医局に引き揚げ始めたのです。そこで最大のダメージを受けたのが、産婦人科でした。ちょうど医療訴訟のターゲットとして産婦人科が集中砲火を浴びていて、研修医が減少したことが医局の首をさらに絞めたのです。そういえば奈良県で出産中に脳出血で死んだ産婦を産科医が見殺しにしたと毎日新聞が書き立てた「大淀病院事件」や福島で帝王切開手術中に亡くなったのは産科医のせいだとあっさり逮捕した「大野病院事件」なんてものもこの頃にありましたっけ。そりゃ、頭がある程度良い医学生だったら「産科医になるのはリスクが高すぎる」と考えるでしょうね。ちなみに、大淀事件では検察は刑事事件としては立件せず民事では医者の側が勝っていますし、大野事件では刑事で医者の無罪が確定しています。要は「不幸な事故」ではあっても「事件」ではなかったわけ。
 本書を通じて目立つのは「厚生省(厚労省)のやる気のなさ」です。無資格者で開業医のお産が維持されているのにも知らんぷり。少子化対策もなし。珍しくやる気を出して臨床研修制度を作ったら、これは医師不足を招きますが、それに対しても何もする気無し。こんな態度で飯が食えるとは、良い商売ですねえ。


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