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2011年06月08日22:49

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531 上田交通 別所線 2

写真1はモハ3121形モハ3121、1976/6/4上田交通別所線上田原車庫。1936年に開通した善光寺白馬電鉄が開業に備えてゼ100形ゼ100とゼ101の2輌を日本車両製造東京支店で新造しました。ややこしい途中経過の後に上田丸子電鉄丸子線へ譲渡され、後に電車に改造されてモハ3121となりました。

写真2はモハ4250形モハ4257、1976/6/4上田交通別所線上田原車庫。1929年富士山麓電気鉄道(現在の富士急行)は大月線開業に合わせてモ1形1〜5の5輌を新造しました。開業後に形式記号がモ1形からモハ1形に変更されました。
1952〜3年頃に改番がありモハ500形501〜505となりました。また15mの小型の車体が17mのやや大型のものに載替えられました。
1955年に発生した旧車体は上田丸子電鉄に譲渡され、国鉄長野工場にあった中古台車と組み合わせてクハ250形クハ251として真田傍陽線で就役しました。
1963年にクハ251を750V・1500Vの複電圧車として電装化し、モハ4257として就役しました。
1972年の真田傍陽線廃止に伴いモハ4257は別所線で活躍しました。
1983年に廃車となり富士急行60周年記念事業の一環として同社へ里帰りし、製造当初の姿に復元されて河口湖駅で保存されています。

写真3はモハ5370形モハ5371、1976/6/4上田交通別所線上田原車庫。これも複雑怪奇な経歴を持っております。。写真1と3は既に鬼籍に入っております。私があの世に行ったら彼らの身の上話を聞いてみたいものです。

追加の写真と記事は http://satoyama.in/auto/sharyo/auto638.html をご覧下さい。
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