■外国の「ことば」や「文字」を受容する ・この本、加藤徹「漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか」が 面白いのは、類書のように単なる「漢文の素養のすすめ」ではなく、 私たち日本人が知らず知らずのうちに心性として「神や仏」を 持っている
■二重言語「日本語」 ・日本に漢字が渡ってきたのは、今から2000年くらい前の ことらしい。しかし、最初は実用の目的ではなく、一種の装飾・ デザインとして用いられた。それは、あたかも欧米人が漢字や 平仮名をファッションとして用いるのと
■漢字の威力 ・加藤徹「漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか」(光文社新書) を読み始めた。 アルファベットもその起源では、絵文字であったという話を 読んだことがある。たとえば、Aは角の生えた牛の顔を逆さに したものだとか。ぼんやり
■贈り物 ・きょう、社団法人・日本損害保険協会/登録の鑑定人という人が やってきた。 それは、昨年12月に我が家に「空き巣」が入ったからだ。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=62949436&owner_id=1040600 ・まえに書いたとおり、我が家に金
■ちどり しまやま ・小学校のころ、二つの歌を習った。 ひとつは、 千鳥 島山 うるわしく 瀬戸の潮じお 真帆片帆 行く手は 遠き雁子崎 黒煙 空にたなびきて ・・・・ これは、弱起の曲で一拍
■花 ・母が亡くなったとき、淡路に墓をつくった。父は宮崎に墓地用の 土地を買っていたが、墓参のことを考えて、また母の意志を 尊重して、祖母の隣に墓を建てた。祖母は生前、隆泉寺の住職に 「うちの墓の隣の空いている所をとっておいてほしい」
■「世界」 ・平野謙「昭和文学の可能性」は、雑誌「世界」に昭和46年6月から 9回にわたって連載され、それに若干の補筆をして昭和47年に 岩波新書として刊行された。私は昭和53年にこの本に出会い、 11月12日に読了し、昭和58年6月
■芸術派と人生派 ・精神を病んだ宇野浩二を、広津は宇野の奥さんと相談し、 「入院」させようとする。斉藤茂吉の「青山脳病院」にと 思っていたが、茂吉から別の病院を紹介され、そこに宇野を つれて行こうとする。 ・このあたりを読むと、私は自
■芥川龍之介と宇野浩二と広津和郎 ・広津和郎は芥川竜之介(龍之介)と、そう親しいわけではなかった。 大正15年に芥川の「点鬼簿」という作品が発表された。 これについて、自然主義の大家・徳田秋声が月評で「幼稚で 間に合わせで、なってないも
■「昭和文学の可能性」 ・いま、広津和郎「あの時代」をゆっくり読んでいる。 広津和郎といえば、「松川事件」で有名で名前は知っていた。 しかし、実際に私が、広津和郎がどんな人物でどんなことに 関心を抱き、何を考えていたかを知ったのは、平
■誰にむかってものいうとるんじゃ ・私はマンション管理人をしている。 そのことは、「元請け・下請け・孫請け」で、ちょっと 書いた。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=35550535&owner_id=1040600 そして、その職場で起きた、ちょっとした「
■感情をはがす ・「一皮むける」とか、「大人になる」という言い方があるが、 自分がそういった経験をし、その自覚をもっているかというと、 私には、その自信がない。 いつまでたっても、あまり変わっていない自分、成長のない 自分がそばにお
■「ここのお店、もうかったね!」 ・きょう、と言っても日付が変わったので昨日のことになるが、 妙法寺の駅に着いて、妻に携帯をかけた。 「ただいま、電話に出ることができません・・・ ピーと鳴りましたら、メッセージをどうぞ・・」
■ガス注意 ・きのうは、2000年会・「社会見学」自由支部の活動で 神戸の旧「移民センター」で行われた 激突!! 「ドクトル梅津vsタブラー」という催しに行ってきた。 インド音楽とジャズの「フュージョン」というンですか、 それを聞いてき
■一日だけでも、いろいろあった ・きのうときょう、連休だった。 ゆっくり起きた。 ぐっすり眠った。 寝るに勝る薬はない。 妻はもう出かけていた。 机の上にはパンが用意されていた。 私を起こさずに出かけたのだ。 ・昼をとっくに回って
■「まだ見ぬ友」へ ・「あしあと」から「まだ見ぬ友」のページを開く。 訪ねていただいたお礼と、感じたをことちょっと書く。 ときに、分にもあらぬことを書く。 また、私の気づかぬことを教えてくれるページがある。 もう一度、来たいと思う。
naratoです。 お立ち寄りいただいた方!! ありがとうございます。 ちょっと一言メッセージを 書いて置いてください。 返事します。 ■前号 ・その1 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=27992910&owner_id=1040600 ・その2 http://mixi.jp/view_dia
■「カネ」を克服する(2) ▼両親と別れて8か月くらい経って、なんとか宮崎での生活のめどが立ったので、 小学校4年の夏休みに、私と妹は、祖母に連れられ淡路から宮崎に行った。 淡路の小学校で、社会の時間に「台風銀座・宮崎」と習った。 宮崎
■「カネ」を克服する(1) ▼私の家や育った環境は、どちらかといえば「貧乏」だった。 「どちらかといえば」ではなく、事実、「貧乏」だったかもしれない。 ▼それは、私が生まれた昭和20年(1945年)に、母は満州から、単身、母の実家の淡路に
■うそ ▼「馬鹿正直」や「生真面目」というのは、「正直」や「真面目」という「力」が、 普通の「正直」や「真面目」より、もっとたくさんあるということだろうか。 どうも、そうではないような気がする。 より「強力」である、というより、それは
■くそまじめ ▼淡路−東京−淡路と、生まれてから小学三年生までに3回、引越しをし 生活の場を変えた。 小学四年生になるまで、この間、私は生来の性質に従って、よく遊んだ。 勉強の思い出はほとんどない。 ▼東京で、母が近所の「そろばん塾
■破滅願望 ▼「あんたって、けっこうヤバイ人よねー」と、妻はマジで言う。 私も自分でそう思っている。 だが、そのように私のことを見ている人は少ない。 ▼「まじめ」あるいは「誠実」という項で書いたように、 私は、「積極的に悪をすること
■振り切れる ▼帰りの道は、風が冷たかった。今夜は冷え込みそうだ。 でも、明日は木曜日で定休日。 淡路の叔父のところに電話を入れる。 正月、どうしているか、腸閉塞のその後の経過はどうか、 聞いてみるつもりでそそのままになっている。
■中庸・保身 ▼物の道理をわきまえ、極端に走らず、「中庸」という言葉が ぴったりとするような人物に出会うことがある。 高見順は「作家であり、詩人でもある」が、一方、「詩人であり、 作家でもある」井上靖のほうは、そのような印象、つま
■「時」を越えて ・高見順が「私生児」で、実の父に冷たくされたこと、血の通っていない 父を親にもったこと。 そんな出自からもっとも自然に形作られる「性格」。 コンプレックスと矜持、 破滅的な感情とどこまでも建設的な意志、 家族の愛
■「希望退職」 ・2000年3月から4月にかけて、生活協同組合コープこうべ では、640名の職員が「希望退職」により職場を去っていった。 ・この年の正月、経営トップは幹部を集め、「このままでは、 生協は5年でつぶれる」として、団塊の世代
■須磨税務署 ・父が入院したとき、その翌年、私は須磨税務署に来た。 須磨水族園前の、社会保険事務所の近辺だったという記憶が ある。 それで、その記憶をたよりに、妙法寺から市バスで須磨・一の谷 行きに乗って、「還付申告」に出かけた。
■祖母・きしの ▼高見順は「わが胸の底のここには」の中で、母・古代(こよ)から 灸をすえられた思い出を、次のように書いている。 「後年、私が子の親に成っても、いい齢に無事達したとき、 幼時の私を知っている人に会うと、その人は言った。
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