■破滅願望
▼「あんたって、けっこうヤバイ人よねー」と、妻はマジで言う。
私も自分でそう思っている。
だが、そのように私のことを見ている人は少ない。
▼「まじめ」あるいは「誠実」という項で書いたように、
私は、「積極的に悪をすることがない」、「気が小さい」、「それ以外に取り柄がない」、
「判断が凡庸である」、「口からでまかせを言わない」、といった消極的な意味合いで、
結果として「まじめ」で「誠実」である。
また、やや積極的な意味合いをもたせて、「正義感がある」、「人の痛みに共感を抱く」、
「義理や人情に弱い」、「堅実を好む」、などの情緒的傾向のために、これも結果として
「まじめ」で「誠実」なように思われる。
▼しかし、私の基本的な性質は果たしてそうなのだろうか。
「あなたは、まじめですか」と問われれば、一応は「はい」と答えるが、
果たしてそれが私の「本質」なのかと、疑問を抱く。
「あなたは、誠実ですか」という問いであっても、同様の疑問を持つ。
▼「あなたは、おっちょこちょいですか」、これは「はい」である。
「あなたは、慎重ですか、用心深いですか」、これも「はい」である。
上のふたつは外見上、相反するように見えるが、このふたつは両立する。
その証拠に、「あなたは、思慮深いですか」と聞かれれば、はっきり、「いいえ」だから
である。
▼「あなたは、ものごとに真摯ですか」と質問されれば、やや「真摯」というトーンを下げ、
「あなたは、ムキになりやすいですか」、あるいは、「あなたは、鷹揚に構えるというより、
どちらかと言えば、小さなことにこだわる方ですか」、という質問に変形していただくと、
諸手をあげて、「はい、そうです」と返事することができる。
▼それで、私の基本的性質が、たとえ真実「まじめ」で「誠実」でなくても、私は、
自分の行動の選択肢の、その選び方、また、その結果について、
結局は、私は、「まじめ」で「誠実」なほうであると、結論しても差し支えない程度のものに
なっていると思う。
しかし、この「まじめ」や「誠実」は、私の「本質」とはどこかズレがあるように思うし、
そのためか、たまに、とんでもないところで、この「ズレ」が突然、現れることがある。
それが、妻の言う「あんたはヤバイ人よね」という意味である。
▼何か事件が起きると、近所の人が「まさか、あの人がねー。まじめそうで温厚な人に
見えたのにねー・・・」とか、「魔が差したのでしょうか・・・」とか、
また、巷間いわれているように、「家庭内暴力をふるう男性には、一見まじめで、
やさしそうな人が多い」、というような、普段は抑圧され、これまでは表面に出なかった
本来的なものが、突然現れる、という類の「ヤバさ」ではない。
▼そんな面も多少はあるかもしれないが、「愛ゆえのナンとか」というような表現で
言い表そうとしてる事柄・性向のように、もともとの性質がもつ本質的なもので、
表面上は正反対の事柄として現れているが、その両者は同一のもの、たとえば
「愛と憎しみ」とか、そういう類のもつ性向・性質の「ヤバさ」を指している。
▼では、なぜ、ある一群の性向が「ヤバイ」のか。
「危険なもの」であるのか。
それは、その性向に、本質的に「弱さ」「脆弱性」があり、そこから、本来とはまったく
異なった正反対のものが生み出される危険性があるからである。
▼たとえば、先の「愛と憎しみ」でもそうだが、「かわいさあまって、憎さ百倍」に向かう
「愛」(あるいは「恋」)と、「別れても好きな人」の方へ向かう性向とでは、
同じ「愛」・「恋」といっても、現れ方はまったく異なってくる。
そして、その二つを分かつのは、私は、そのもののもつ(たとえば、ここでは「愛」や「恋」)の
強靭さ、あるいは、脆弱さの「差」ではないかと考える。
▼そして、両者の違いは「差」であるにもかかわらず、何か、本質的な違い、
「量的」な差異でなく、「質的」な差異として現れる。
それは、どうしてそうなのか。
私は、この「差」は、その人の「本来的な」「生来的な」ものに由来するからだと、
考えている。
▼つまり、本質的に「弱い人」には、「脆弱さ」が現れる。
「本質的に」といったのは、体質と同じで、生まれ持った性質、生来的なもの、
という意味で言っている。
そして、私自身は、自分がここに言う「弱い人間」であるということを、つくづく思うのである。
▼決して、「強い人間」ではない。
それゆえに「ヤバイ」のである。
「危険」を内包している。
いつ、それが露呈するか、わからない。
そんな「危険」・「ヤバさ」を抱えている。
▼生きたいと思って自殺する人、やさしくありたいと願って怒りだす人、
平和を望んで銃をとるテロリスト。
一方の極まで行って、振り切れる人。
反転してしまう人。
人の弱さは、極端に走ると、「もろい強さ」に変わってしまう。
▼私の「まじめ」や「誠実」とは、そんな類の「まじめ」「誠実」ではなかったのかと、
考えるのである。
そして、そんな私が「破滅」せずにすんだのは、なぜだろうか。
何が私を「破滅」から救ってくれたのか、次はそのことを書こうと思う。
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