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2006年02月11日04:16

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●寄り道ついで (45)/■ヤバイ人(6)

■「カネ」を克服する(1)

 ▼私の家や育った環境は、どちらかといえば「貧乏」だった。
  「どちらかといえば」ではなく、事実、「貧乏」だったかもしれない。


 ▼それは、私が生まれた昭和20年(1945年)に、母は満州から、単身、母の実家の淡路に
  引き揚げてきて、父は召集がかかって入営し、一週間くらいの軍隊生活でソ連軍の捕虜と
  なり、以後、私が四歳になり、舞鶴に出迎えるまで、父はシベリアのラーゲリで抑留生活を
  強いられたことによる。


  母の実家での生活は、前に書いた。

  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=32802111&owner_id=1040600

  結局、小学校1年の二学期あたりまでの淡路での「暮らしぶり」は、
  母が役場の戸籍係で働いていたというものの、実家の世話になり、
  それでようやく暮らしが成り立っていた、と言えばいいだろう。


 ▼それで、父と母は東京に出た。
  私と妹を淡路に残し、父と母は一家6人(甚蔵じいちゃん夫婦がこのとき、私の家に
  身を寄せていた)の暮らしを立てるべく、一足さきに東京に出た。

  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=30495847&owner_id=1040600

  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=33759938&owner_id=1040600


 
 ▼父は、もともと八王子の出で、家は機織工場をやっていたから、東京に出て、
  メリヤス関係の仕事を始めた。

  母は、唐草模様の大きな風呂敷に、ナイロンの靴下を詰めた箱をいっぱい
  包んで、背中にしょって、パチンコ屋の景品に卸す行商をしていた。

  私は母について、省線電車に乗って、都内のいろんなパチンコ屋を廻った。
  山手線の各駅はもちろん、東は亀戸・錦糸町あたりから西は吉祥寺・荻窪あたりまで、
  靴下を卸して歩いた。


  
 ▼「坊や、こっちおいで。玉だしてあげるから・・・」

  パチンコ屋のおじさんは、私を手招きしてパチンコ台に連れて行った。
  母が商談している間、私は昼間のあまり客のいないパチンコ台で、チン、ジャラジャラ・・・、
  チン、ジャラジャラと・・・戯れた。

  商談がもっと長く続けばいいと思った。
  たまに、ジャラジャラと玉がたまってくると、キャラメルに交換してくれた。


 ▼東京の、私の住んでる長屋の前の、竪川二橋の角だったと思うが、
  そこに洋風の「○○○ペンキ商会」というのがあって、そこのお兄ちゃんが
  私を可愛がってくれた。

  小型トラックの助手席に乗せ、ペンキの配達で都内のあちこちに連れて行ってもらった。


 ▼淡路から離れることを、泣き叫んで拒んでいた私だったが、「東京ぐらし」は
  私の体質にあっていた。

  友達から「田舎っぺ」とからかわれ、なじられても、そんなことはお構いなしに、
  大いに遊んだ。

  乗り物が好きだったので、「交通博物館」は私の最初の「ミュージアム体験」だったし、
  東横デパートの鬼のおなかにボールを投げつけ、当たると鬼が金棒を「うおぉぉぉーっ」
  と持ち上げる「ゲームセンター体験」や、また、錦糸町の立ち並ぶ映画館での、「エノケン」
  や「ダンボ」は、私の「映画開眼」でもあった。


 
 ▼私にとっては、遊びまくった「東京ぐらし」であったが、しかし、暮らしは成り立たなかった。


  遠い親戚が、宮崎の「綾」というところにいた。
  「桝見さん」というこの親戚は、満州・牡丹江時代に「旅館」を経営していて、
  母が淡路から牡丹江に行ったのは、この「旅館」を手伝うためだった。

  そんなつながりがあって、父と母は、再び、私と妹を淡路の実家に預け、暮らしを
  立てるべく宮崎に向かった。


  「綾」は宮崎市内から奥に入った田舎である。
  「桝見さん」のほかには、宮崎にたった一人の知人もいなかった。

  おそらく、父は、誰も知らない土地をあえて選んだのだろうと思う。



 ▼新天地「宮崎」で、何ができるのか。
  父は一人、先に宮崎に発った。

  フォトアルバムに載せた「1954年(昭29) 東京、最後の日」は、母と私と妹の三人で
  東京の記念に、「はとバス・東京遊覧」に行ったときの写真だ。
  私は小学三年生。妹はまだ3歳だった。

  http://mixi.jp/view_album.pl?id=249736



 
 ▼この写真のあと、私たちは東京を離れ、母は神戸から宮崎に父を追って向かい、
  私と妹は、祖母に連れられ、再び淡路にもどって、祖母・叔父一家の世話になった。


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