■感情をはがす
・「一皮むける」とか、「大人になる」という言い方があるが、
自分がそういった経験をし、その自覚をもっているかというと、
私には、その自信がない。
いつまでたっても、あまり変わっていない自分、成長のない
自分がそばにおり、立ち止まる。
・とは言え、ハッと自分の未熟さに気づかされ、その驚き・発見で
「自分」を少し離して見ることができるようにはなった。
発見以前の「自分」と、発見以降の「自分」とを区別し、
今の「自分」から、過去の「自分」を見ることはできるように
なったと思う。
・それは、たとえば、ひとの「親になる」という経験というか
自覚を持ったときも起きた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=58905867&owner_id=1040600
・「泥をかぶる」というのも、こんな経験・感覚なのかもしれない
と、思う。
もし、自分のことであれば、いつまでも拘泥し、未練というか
自分の感情から自由になることは、なかなか困難である。
しかし、これがもし、自分のことでなく「ひとのため」であれば、
意外と、あっさり、怒りや悔しさや憤りといった感情を脱ぎ捨てて
素直に頭を下げることができる。
・生身の体から、生の感情をはがすのは、痛い。
せいぜい、我慢して、押し殺して、どうにかすり抜けるくらい
のことで、「一皮はむけない」。
しかし、他人のことで、自分が被ったいわれなき非難や、
他を利するためにすすんで受ける困難などのときは、
一次的な生の感情は私にはなく、私の感情は二次的なものである。
だから、そのときの自分に起きている感情は、意外と簡単に
はがすことができる。
・もし、同じように、自分を他人のように、もう少し遠くへ離し、
その自分の感情をはがすことができたら、私は「一皮むけて」
「大人になる」こともできるような気がする。
だが、自分を他人のように、突き放し、遠くから見るのが
またまた、むずかしい。
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