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2008年02月22日01:13

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ある老翻訳家の行方−自死論05

「マルクスと別れた私はもはやなにもすることがない。したいこともない。いや、できることがない、と言うほうがいいかもしれない。(中略)収入は毎年減る一方である。だが、老人福祉を、などと叫ぶ気は毛頭ない。いま私が受けている老齢福祉は、毎年秋になると麗々しく区長の姓名を書いた贈り物、現金六千円と、寝巻、枕、シーツ、安い毛布など、寝たきり老人用のものばかりである。今年の秋は尿瓶でもくれるのではなかろうか。(中略)いま私にとって問題なのは、いかにして生きるかではなく、いかにしてうまく死ぬかである」
「自分で自分に始末をつけること。これはあらゆる生物のなかで人類にだけ与えられた特権ではないだろうか。この回想記を書き終って、余りにも自主的に行動することの少なかったことを痛感する。せめて最後の始末だけでも自主的につけたいものだ。なるべく他人に迷惑をかけず、自分もほとんど苦しまずに決着をつける方法の一つとして、鳴門の渦潮に飛び込むなどはどうだろうか、などと考えていたら、往年の友人対馬忠行に先を越されてしまった。同じような人間は同じようなことを考えるものだ。先年、時永淑にこんな話をしたら、どこに飛び込もうと死体の捜索などで大迷惑を蒙る人間がいるのだ、と言われた。それもそうだろうが、それもせいぜい数時間か数日のことだろうから、これから何年も世間に老害を流しているよりはましなのではなかろうか」

岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年:自嘲生涯記』(青土社・1983年)より
(引用は、現書からではなく、後に記すHPより)

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僕が高校を卒業した月の14日、つまり1983年3月14日は、カール・マルクスの没後100周年の日だった。この年はケインズとシュムペーターの生誕100周年の年でもあり、出版界では、それを記念した経済思想関係の本が何冊も出版された。マルクス=エンゲルス全集(著作集)の版元である大月書店は、「世界中でこれだけ」という『資本論』の全訳の「一冊本」というものを出版した。辞書のような薄い紙に印刷された『資本論』で、『広辞苑』を少し小さくしたような体裁だった。この本は、3月14日までは「特別価格」ということで、定価よりも2000円ほど安く売られていた。当時、一応はケインズの『一般理論』をながめ、シュムペーターの『経済発展の理論』にも目を通していた僕は、『資本論』にまで手を出すべきかどうか迷っていた。そして、「これから読みたくなることもあるかも知れない」と思い、せっかくの記念版なので奮発して買った。

高校新聞の縮刷版の編集なんぞに携わり、大学受験に向けた勉強などほとんどしていなかった僕は、当然のこととして大学の入学試験に落ち、行き先がなくなった。とりあえず、下宿先の札幌から親元の岩見沢に引っ込むこととなったが、高校生時代に「受験産業」に対して批判的だった手前、予備校には行かず、いわゆる自宅浪人というやつをすることになっていた。僕の友人には同様の理由で「タクロー(宅浪)」する者が何人かいた。
3月14日には、数人の友人が僕の下宿に集まり、一冊本『資本論』を高いところに置いて、マルクスを偲びながら(笑)、自分たちの行く末のことなど、飲み食いしながら語り合った。青春だね(笑)。

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同じときに、この大月書店版『資本論』の訳者である岡崎次郎の「自嘲生涯記」というものが書店に並んでいた。岡崎は、『資本論』の解説書の執筆者としても知られていて、僕も何冊かの本を読んだことがあった。その「自嘲生涯記」は2000円もしない比較的安い本ではあったが、立ち読みしてみて、結局買わないことにした。18歳の少年にとって、いかに高名とは言え、老学者の回顧録などは、決して興味の湧くものではなかった。限られたお金で買い、限られた時間を費やして読むならば、何かもっと「前向き」なものを選ぶべきだとも思った。こんな本は、将来いつでも読めるものだと思っていた。

1年の浪人生活の中で、僕は『資本論』の第一部を読み終わった。大学に入ってからは、第二部を読み終え、第三部に手をつけた。しかし、体育会の某部なんぞに入ってしまったため、こうした読書に費やせる時間も限られ、全巻を読み終えたのは社会人になってからだった。
その間中、ときどき、訳者である岡崎の「自嘲生涯記」のことを思い出したりもしたが、その本を手に取って読むことはなかった。

ソヴィエト連邦が崩壊し、冷戦が終結し、マルクス経済学というものが凋落してから、僕はむしろ、この学派に属した個々の学者や思想家について、興味を持つようになった。何が間違っていたのか。なぜ間違ったのか。あるいは、本当に間違っていたのか。そうした回顧的な評価は、色々な意味で価値のあることだと考えていた。
そうした関心の中で、岡崎の「自嘲生涯記」、本題『マルクスに凭(もた)れて六十年』を読んでみたいと強く思うようになった。既に絶版となっており、新刊を入手することが出来ないことは分かっていた。そのため、古本屋に行ったときには、必ず探すように心掛けていた。しかし、なかなか見つからない。市立はもちろんのこと、大きな県立図書館にすらない。それでも「いつかは見つかるだろう」と思い続けていた。

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僕が三十路を迎えた翌月、本屋でみかけた雑誌の見出しを見て、僕は驚いた。
そこには、

「老マルクス学者岡崎次郎夫妻の死出の旅路の果て」

と書かれていた(『週刊朝日』1994年6月17日号)。
記事によれば、岡崎次郎(当時79歳)とのクニ夫人(86歳)は、1984年6月に親戚・知人らに別れを告げて旅に出たまま行方不明となり、10年が経ったとのことだった。その前後の経緯については、『自殺の思想』(太田出版・2005年)の著者でもある朝倉喬司が、以下のところで詳しく書いている。
http://www.ohtabooks.com/view/rensai_show.cgi?index=2&parent=5
そこから、一部を引用する。

「岡崎次郎が、“なかなか承諾のとれなかった”妻のクニと二人、自宅を引き払って旅に出、杳として行方知れずになったのが1984年6月のこと。」「これが夫婦の自死行だったとすると、岡崎は20年近く、『いかに死ぬか』について考え続けていたことになる。」
「84年6月5日、岡崎夫妻は、東京・品川の高輪プリンスホテルで、長姉の家族と中華料理で会食(夫妻には子どもはいなかった)。席上、岡崎は『西の方へ旅行する。寛(長姉の息子)のところを連絡先にするから、よろしく頼む』と切り出し、一同は、それがどのような『旅行』であるかを、ほぼ察したが、何もいわなかった。『本人の気のすむようにさせてあげよう』というのが、彼らの一致した意向だった。」
「翌6日から始まった旅。二人の足どりは、ホテルの支払いにJCBカードが使われたことなどから、ある程度、判明している。」
「6月中旬、伊豆大仁温泉、同下旬、浜松、7月3日、京都、同上旬、岡山。岡山から山陰へ出て荻へ、荻から広島を経て、大阪・ミナミのホリディイン・南海に宿泊したのが、その年ももはや秋の9月30日。老夫妻の足取りを辿れるのはここまで。」
「二人は見事にこの世から、めぐりあわせから姿を消し、遺体は現在にいたるまで、どこからも発見されていない。」

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そこに書かれていた岡崎の晩年の「生き方」、あるいは「消え方」に、30歳だった僕は強い衝撃を受けた。岡崎次郎は、何故このようなことをしたのだろう?
文学者が、何か思想的な理由から死を択ぶということは、あり得ることだと思っていた。
精神を病んだ人間が、何らかの理由で自らを傷つけ、死に至るということもあるかも知れない。
病気による苦痛、精神的な苦痛に耐えられず、死を択ぶということもあるかも知れない。

しかし、高齢とは言え、高名なマルクス経済学者が、人から賞賛される業績を残した翻訳家が、そしてマルキストが、行方をくらまして夫婦で死ぬということは、理屈に合わないことであるように想われた。
しかし、30歳の僕が感じた戸惑いは、主として僕の視野の狭さに由来するものではないかと、今では想っている。
まず、『資本論』の翻訳家であるからと言って、岡崎をマルキストであると決め付けることに問題がある。また、マルキスト、あるいは弁証法的唯物論の信奉者であったとしても、そのことが自殺を否定する態度につながるとは限らない。僕が、岡崎の自殺に違和感を感じた原因は、岡崎の側にあるというよりも、むしろ僕の側にあると考えるべきなのだろう。

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30歳のときの僕が、岡崎次郎の行方不明に感じた驚きと違和感の原因について筋道を立てて説明することは、当時の僕にも今の僕にも出来ない。

1994年の雑誌記事を読んでから、僕は岡崎の『マルクスに凭れて六十年 : 自嘲生涯記』について、愛憎半ばする感情を抱いた。「読んでみたい」という気持ちと、「読むべきではない」「読む資格がない」という気持ちが、相半ばした。

それから、13年が経った。僕も、ようやく中年(43歳)となった。
今の僕ならば、岡崎の『自嘲生涯記』を読んでも大丈夫だろう。逆に、それ故に、あわてて読む必要もないような気もしている。その後も同書を古本屋で探し続けているが、結局、現物を手にするには至っていない。ただ、僕が入館資格を持つ某大学図書館に所蔵されていることだけは分かっている。

2004年9月8日、大宮のHamachoという居酒屋で、黒船レディと銀星楽団というバンドが「古本屋のワルツ」という曲を演奏していた。

「むかし無くした本を探して
いまさら、私は古本屋を訪ねている」
「ときは流れて
少年の日は遠くておぼろげ
私もあの本もきっと
物語のような旅をしているのさ
きっと、いつかレールは交わって、
ふたたびめぐりあう」
「旅を続ける本の停車場
静かに古本屋で次の出発を待つ」
「むかし無くした想い出を探して
いまさら、私は古本屋を訪ねている」

この歌を聴いていたら、岡崎次郎のことが想い出された。
あの本の再刊を望む声は少なからずある。しかし、それでも復刻されないのは、多分、遺族がそれを望んでいないからだろう。
あの本は、著者が世間に何かを伝え、何か訴えるために書かれた本ではない。
著者が、世間との縁を切るために書かれた本なのだ。
それが果たされた今、その本を復刊する意義は、著者自身にも、著者の遺族にも、ないだろう。

「古本屋のワルツ」を聴きながら、岡崎次郎のことを想いながら、僕は眼から涙が溢れ出てくるのを止めることが出来なかった。

新たな思想を産み出すことに、生涯をかけた人々。
思いの記された書物や遺稿を護るために、命をかけた人々。
思いを広めるために、翻訳を試みる人々。
消え行く本。消え逝く人々。
何かを求めて、本を探す人々。

本と人との出会いの運命が、長い歴史と広い世界を
ひとつのものにしている。

岡崎は「マルクス研究について自分にできることは、もはやここまで、と見きわめをつけ」「この世から、めぐりあわせから姿を消し」たのだろうか。

遠からず僕は、岡崎の『自嘲生涯記』を読むことになるだろう。

(乱文失礼。もう少しだけつづくかも)

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追記1:上で紹介したHPの書き手である朝倉喬司には、『自殺の思想』(太田出版・2005年)という著作がある。同氏は、犯罪者、ヤクザなど、どちらかといえばマージナルに問題群に取り組んでいるジャーナリストであるようだ。『自殺の思想』の続編が書かれるならば、岡崎次郎のことも採り上げられるかも知れない。

追記2:上に記した週刊朝日のほかにも、岡崎次郎の失踪(?)について話題にした雑誌は何誌かある。

追記3:大西巨人の『地獄変相奏鳴曲』という小説の中に、岡崎次郎夫妻をモデルにしたと言われている章がある。しかし、一読してみたところ、僕にとっては、あまり得るところがなかった。もっとも、僕がもっと歳をとったら、感想も違ったものとなるかも知れないが。

追記4:岡崎次郎は、北海道江差の出身であるそうだ。1904年の生まれであるから、僕の祖父(1900年生まれ)と同年代にあたる。

<『マルクスに凭れて六十年 : 自嘲生涯記』に関する情報>
http://www3.zero.ad.jp/ryunakamura/diary?date=2006-06-16
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E6%AC%A1%E9%83%8E

<生と死に関する日記の目次>
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=515589683&owner_id=2312860
<自死論>
(1) http://mixi.jp/view_diary.pl?id=716538318&owner_id=2312860
(2) http://mixi.jp/view_diary.pl?id=719505955&owner_id=2312860
(3) http://mixi.jp/view_diary.pl?id=720539038&owner_id=2312860
(4) http://mixi.jp/view_diary.pl?id=721561764&owner_id=2312860

<黒船レディと銀星楽団>
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1474113
<古本屋のワルツ>
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=2312860&id=627103
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