フリッツ・ラングのドイツ時代の傑作『M』。学生時代に見て以来だと思う。詳細は忘れていたが、思っていたほど背中の「M」の文字が演出に生かされているというほどでもない。きっと象徴的な意味合いで使っているのだろう。「月世界の女」「スピオーネ」と同じくラングと妻、テア・フォン・ハルボウ脚色、フリッツ・ランク監督で作られた映画でデュッセルドルフに起こった実話を基にして撮影台本が執筆されたもの。
『ストレンジャー』(1946)でもオーソン・ウェルズの口笛が使われていたが、1931年製作の本作は、口笛がもっとハッキリと犯人を見つけ出す糸口として特徴的に使われている。よく聴く曲だが調べてみると、エドヴァルド・グリーグの組曲『ペール・ギュント』中の「山の魔王の宮殿にて」の口笛だ。犯人が小さな女の子を連れて犯行に及ぶときにする口笛で、風船売りの目の見えない男が、女の子が殺されたときに買いに来た犯人の口笛を覚えていたのだ。
冒頭から数分間が素晴らしい。「汚い黒服の男が小さな斧で切り刻むのは誰でしょう」という子供たちの不気味な歌遊びで始まり、その「歌は止めないさい」と注意する母親、小学校前で車にはねられそうになる女の子、子供の帰りを待つ母親、ボール遊びをする女の子は、「子供を狙った頻発する凶悪犯罪」のポスターにボールがぶつける。そして男の黒い影が少女に話しかける。食事を支度をしながら戻らない少女を心配する母、犯人の口笛と少女に買う人形の風船。母親が階下に少女の名前を呼ぶ。そのらせん状の階段の俯瞰ショット。「エルシー」と何度も呼ぶ母の声。誰もいない階段、屋根裏の洗濯物、帰って来ない食卓の皿、原っぱに転がるボール、電線に引っかかっていた人形の風船が風で飛んでいく・・・。これだけの描写で、見事に少女がさらわれ事件が起きたことを描いている。
少女連続誘拐殺人事件。なかなか捕まらない犯人に市民の不安は募っていく。町で少女と話していただけで疑われる男。犯人扱いされる暴力的な市民たちの声。隣に犯人がいるかもしれないと疑心暗鬼になっていく市民。お互いの監視社会。警察署もまた非難の声にさらされながら、焦りが募っていく。次々と寄せられる情報は、ほとんどがガセネタ。コロナ禍の世界で不安だった頃を思い出す。人間は不安になって余裕がなくなると、どんどんヒステリックに集団狂気のように暴力的になっていく。警察は捜査範囲を広げ、捜査員たちが大挙して町に繰り出し徹底捜査。刑事たちの眠れない日々。毎日続く捜査会議。売春婦や怪しげな犯罪者たちが集まる店は徹底的に調べられ、身分証を確認し、次々と怪しいと思われる容疑者は検挙されていく。だが犯人は捕まらない。そして本物の犯人は冷然と「俺は無事だ」と新聞社に投書する。
この映画のユニークなところは、群集心理の不安を描くサスペンス要素だけではない。喜劇的な展開になっていくところだ。警察の捜査会議とギャングたちの話し合いが、重ねて描かれていく。タバコの煙で煮詰まっていくそれぞれの会議。暗黒街のギャングたちは、大量動員された警察の手入れの毎日に、仕事が何もできない。スリや盗難などの事件が起こせず、金がなくなっていく。早く犯人を捕まえないと、犯罪ができないで困ってしまうのだ。なんという皮肉。そこで、警察が捕まえられないのなら、自分たちで犯人を捕まえてしまおうと動き出すのだ。町で少女に近づく男たちを見張ろうと、浮浪者たちやスリや窃盗などの犯罪者、チンピラたちを組織して、通りの隅々に配置。犯人を警察よりも先に捕まえようとするのだ。一方、警察はこれまでの犯罪歴、精神病歴などの人間たちを洗い出し、徹底的に調べ出した。新聞に投書した犯人の字体、赤い鉛筆、書いた机などを調べ始める。そして一人の男に絞り込む。浮浪者たちも、犯人の口笛から少女と歩く犯人を見つけ出し、逃げないように手にチョークで「M」と描き、犯人のコートの背中にその手を押し当てて、「M」の文字をつけるのだった。そして犯人を追い詰め、犯人はあるビルに逃げ込んだ。退社時間になっても、人に紛れて出てこない「M」の男。
そしてギャングたちは大勢でその夜、ビルに侵入する。警備員を拉致し、扉を壊し、部屋を一つ一つ調べていく。警報機が鳴らないように、天井に穴をあけ、扉を破壊し、そして倉庫に隠れている犯人(ピーター・ローレ)を見つけ出す。ここからがまたユニークだ。犯罪者たちは、みんなで犯人を裁判にかけるのだ。私刑裁判。少女殺しという卑劣な犯罪に、人々は「死刑だ」「殺してしまえ」と容赦ない。フリッツ・ラング得意の集団的な暴力が再び描かれていく。しかし一方、弁護士の役回りの男が正当な弁護をする。少女を見ると襲われるどうしようもない性癖。犯人の精神的な障害、錯乱の告白を聞き、「誰も犯人を死刑にする権利はなく、精神的な障害を抱えた犯人は「病院」へ収容すべきだ」と主張する。怒る母親たち。「病人に入れても、また出てきて犯罪を繰り返すだけだ」と主張する男。混乱する裁判。そこへ警察がやってきて、一同、手を挙げる。そして本当の裁判が始まるところで映画は終わる。
犯人に記された「M」の文字は、ドイツ語《Mörder=(殺人者)》の頭文字だろう。殺人者=犯罪者と刻印された男は、生まれながらにして犯罪者にならざるを得なかったのか。刻印されること。レッテル貼りと同じことだ。彼だけが犯罪者「M」なのか。誰もが犯罪者になる可能性はないのか。犯人を見つめる無言の人々の目線が怖い。「死刑だ」と犯人を断罪する人々。それはまさに人間そのものであるだろうし、社会=世間そのものでもある。誰もが抱えている暴力性。暴力的衝動。復讐、他者への恐怖、理解不能なものの拒否、憎しみ、抑圧、排除、正義と悪のレッテル、敵の創出・・・。この作品を撮影して以降、ドイツではナチスが台頭し、集団的な抑圧、暴力の時代がやってくる。不安が社会を暴徒化させるのだ。ユダヤもまた「M」と同じように「ダビデの星」が刻印され抑圧された。フリッツ・ラングはアメリカに亡命し、暴力についての映画を作り続けた。そして戦争は今の時代も続いているし、集団的暴力はいつまでも終わらない。
1931年製作/117分/ドイツ
原題または英題:M
監督:フリッツ・ラング
脚本:テア・フォン・ハルボウ、フリッツ・ラング
撮影:フリッツ・アルノ・ワグナー
撮影助手:カール・ファース
美術:エミール・ハスラー、カール・フォルブレヒト
音楽:エドヴァルド・グリーグ
録音:アドルフ・ヤンゼン
編集:ポール・ファルケンベルク
製作主任:グスタフ・ラジー
キャスト:ピーター・ローレ、エレン・ウィドマン、インゲ・ランドグット、グスタフ・グリュントゲンス、フリードリッヒ・グナス、フリッツ・オデマー、パウル・ケンプ、テオ・リンゲン、エルンスト・シュタール・ナハバール、フランツ・シュタイン、オットー・ベルニッケ、テオドル・ロース、ゲオルク・ヨーン、ルドルフ・ブリューマー、カール・プラーテン、ゲルハルト・ビーネルト、ローザ・バレッティ、ヘルタ・フォン・ヴァルター
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