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2026年04月22日12:08

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「無理心中 日本の夏」大島渚〜意味のある死を求めて、政治と暴力と死〜

1967年の時代性が強く感じられる大島渚による政治・権力・暴力・闘争・内ゲバ・性・死などを描いた実験的な作品。モノクロ映画。この1960年代後半から70年代にかけて、性と暴力(革命)、政治とテロルを描いた映画監督に若松孝二(足立正生、大和屋竺など)がいたが、大島渚の方がより抽象的で観念的なイメージで分かりにくい。この時代には、こういう実験的な作品が数多く作られた。難解で、今の時代と比べると、不親切で独り善がりで観客の理解を拒否しているようなところがある。それだけ今の時代が、分かりやすく、単純化され過ぎた時代とも言えるが、当時は複雑でどうにもならない世界をみんなで変えようと、悩んで考えていたと思う。一方で極端な暴力や内ゲバで自滅していった政治の季節でもあった。

本作で描かれる登場人物たちは、抽象的で象徴的・観念的な存在だ。豊満な肉体を武器に男を求めて彷徨うネジ子(桜井啓子)は、ネジが緩んだ性的な存在で、男たちの間を行き来する緩衝材的な役割を果たすが、結局誰にも相手にされない。死にたがっている男(佐藤慶)は、殺される瞬間に自分の存在意味が見出せると考えている死に取り憑かれた男。そのほか包丁ですぐに人を刺そうとする縄で縛られた危険な男(小松方正)、おもちゃと呼ばれる拳銃マニア(殿山泰司)、テレビを持ち歩いてテレビの情報を必死で知ろうとする男(戸浦六宏)・・・そんな奇妙な男たちが廃屋に監禁されていた。翌日の組織の抗争のために集められたようだ。武器が集められ、明らかに内ゲバ的な組織同士の抗争が示唆されている。そこへライフル銃を盗みにやって来た少年(田村正和)が侵入してくる。田村正和は中流階級の学生のようだ。誰でもライフルで殺したいという思想のない少年テロリストだ。この廃屋で、暴力革命前夜で待機するものたちの演劇的な舞台劇のようなものが展開される。大島渚の『日本の夜と霧』(1960)も結婚披露宴会場での演劇的な舞台劇であったが、ここでも殺されたい男・佐藤慶と男たちに性的関係を迫るネジ子を中心に暴力衝動と死ヘの願望、空回りする性が描かれている。カメラは乱暴に左右に振り回すようにパンされ、ひたすら暴力による破壊と死を待っているようだ。

そしてテレビからの情報で知らされる白人男性によるライフル連続殺人事件に、男たちは関心を寄せていく。組織同士の翌日の抗争は、トップが逮捕されたことで立ち消えになり、廃屋があったアジトには組織の者たちはいなくなっていた。暴力衝動を封じられた男たちは、警官に包囲されているアメリカ人のライフル殺人魔の元へ合流する。警察との銃撃戦となり、少年の田村正和はアメリカ人の犯人と一緒に警察に発砲しながら戦うが、テレビの男・戸浦六宏は、アメリカ人射殺魔を殺し、「犯人を殺した」と警察に手を挙げて保護してもらおうとする。その戸浦六宏を今度は佐藤慶がライフルで撃つ。結局、みんなが撃たれて死ぬ中で、佐藤慶とネジ子はセックスをするのだった。ネジ子が「最高ね、心中だもん」と言い、佐藤慶が「うん、無理心中だ」と答えた顔のアップに、歪んだ日の丸のようなイメージが映し出され、皇居の俯瞰ショットにタイトルが出て映画は終わる。

1965年の「少年ライフル殺人事件」や映画製作の翌年1968年の「永山則夫連続射殺事件」や「金嬉老事件」なども想起されるが、高度経済成長期にこうした突発的なライフルによる殺人事件が起きていた。政治の季節になって暴力革命を目指したセクト間同士の抗争が起き、組織内でも内ゲバがやリンチ事件が起きていった時代。日本という国家と無理心中したい佐藤慶。暴力衝動が抑えられないライフル魔の少年・田村正和やインテリ風の戸浦六宏、ヤクザな戦中派の殿山泰司や小松方正といった男たちも含めて、アメリカと一緒に無理心中を目指した暴力的で虚無的・破壊的な映画だと言うことか。アメリカ人を殺した戸浦六宏。ただただライフルを撃ちたかった田村正和。殺されたい佐藤慶。みんな考え方はそれぞれ違うが、破壊と死への欲望は同じ。ネジ子だけが、セックスを求め死や暴力に無関心。

映画の冒頭は、白いペンキでトイレの落書きを塗り潰す白装束の集団が登場し、誰もいない道路の橋の上からネジ子がパンツを脱ぎ捨てて川に投げると、遠泳をしている男たちが「落ちましたよ」と言って、日の丸を川面に見せていく。そして日本国旗を掲げて行進する学生たちのパレード。さらに謎の僧侶の集団や地面に描かれた人の形など、シュールな管理国家の映像が続く。そして佐藤慶は、その人の形をした道路の絵に収まろうとする。そして「形の中に入っているんだ」と言う。「誰かが俺を入れるんだ」と、形に収まることを願望している。映画のラストの方の銃撃戦の中でも、佐藤慶は死んだ殿山泰司を古墳のような小山の人の形に収めようとしていた。形に収まること、そして死ぬこと。それは虚無的な時代にあって意味のある死を求めているということか。よく分からない。


1967年製作/98分/日本
製作:創造社
配給:松竹

監督:大島渚
製作:中島正幸
脚本:田村孟、佐々木守、大島渚
撮影:吉岡康弘
音楽:林光
美術:戸田重昌
キャスト:桜井啓子、佐藤慶、戸浦六宏、田村正和、溝口舜亮、殿山泰司、小松方正、観世栄夫、福田善之、芦田鉄雄、小沢文也
☆☆☆3
写真引用コピーライト1967 松竹株式会社
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