<ネタバレにご注意を>
『ハムレット』はシェイクスピアにとって、病気で亡くした息子ハムネットへの鎮魂の戯曲だった。スティーブン・スピルバーグとサム・メンデスが製作に名を連ねている。監督は『ノマドランド』(2020)、『兄が教えてくれた歌』(2015)のクロエ・ジャオ監督。原作はマギー・オファーレルの同名小説。
アグネス(ジェシー・バックリー)は、母なる森に抱かれるように、木の根元で胎児のように眠っている場面から始まる。アグネスは森の女であり、飼い慣らした鷹が空を舞い、木の根元には冥界への入り口のような穴がある。未来を感じ取る能力をもち、エンジ色のワンピースを身に纏い、薬草の知識があり、いつも土に触れている女性である。そんな自然そのもののようなアグネスと出会った貧しいラテン語教師、ウィル(ポール・メスカル)。二人は劇的な恋に落ちる。触れることによって感じ合う二人。この映画はウィリアム・シェイクスピアの視点ではなく、あくまでも妻のアグネスの視点で描かれていく。
出産シーンが凄い迫力で描かれる。森の中で一人、叫び声を上げながら出産するアグネス。その俯瞰のロングショット。二人目は、森に行きたがるアグネスを義母が家に押しとどめる。外は豪雨で川が決壊しているのだと。そして家の中で出産する。男の子が生まれても、まだ産気づくアグネス。双子の妹だったのだが、最初泣かないので死産かと思われる。しかし、抱いているうちに生きていることが分かる。この迫力ある出産シーンで、生きることと死が表裏一体であることが描かれる。思えば、最初の木の根元での眠りも死を内包しているようである。ウィルがアグネスに語るオルフェウスの冥界下りの神話も死と生の世界の往還。
そして、次女のジュディス(オリビア・ライン)が病気になって死の淵を彷徨っているとき、ハムネット(ジャコビ・ジュプ)は同じ布団に入り、二人で呼吸を合わせる。そして死神に二人を間違えさせるのだ。帰ってきた父を騙すために、着ている服を取り替えてジュディスとハムネットが入れ替わったように。父から母や娘たちを守るように留守を託されたハムネットは、自らの命を妹のジュディスのために差し出すのだ。ハムネットを失って、悲嘆に暮れて叫び続けるアグネス。そしてロンドンに行っていなかったウィルのことを責め続ける。ハムネットの死後、夫婦の間に亀裂が生まれていく。
そしてウィルは、息子を失った自らの苦悩を戯曲に託した。世界の演劇史に残る名作「ハムレット」は、ウィリアム・シェイクスピアの苦悩そのものであり、自らを責め、ハムレットの父を死神に設定し、自ら亡霊を演じた。ハムネットの死を自らに転化したのだ。そして演劇という虚構の世界で、アグネスはハムネットを見た。ハムネットは虚構の中で「ハムレット」として生き続ける。鎮魂の戯曲が彼女を救ったのだ。
そもそも演劇や舞台には、死者たちを鎮魂する役割がある。多くの登場人物たちが死を演じ、虚構の世界の中で現実の死を悼み包み込んできた。そして死者たちを虚構の中で甦らせてきた。舞台の中央の闇に向けて、ハムネットは消えていく。振り返り、立ち止まり、冥界へと消えていく。アグネスは森の人であり、家の人であった。森で鷹を冥界へと送り、家でハムネットを看取った。そしてウィリアム・シェイクスピアは虚構の世界で生と死を描いた。クロエ・ジャオの映画は、生は死とともにあり、美しさは汚れや土とともにあることを描いて見せた。森の中にある生と死、土に息を吹きかける魔法は、虚構の中で死者を甦らせ、鳥は空から私たちを見守っている。
2025年製作/126分/G/イギリス
原題または英題:Hamnet
配給:パルコ
監督:クロエ・ジャオ
製作:リザ・マーシャル 、ピッパ・ハリス、ニコラス・ゴンダ、スティーブン・スピルバーグ、サム・メンデス
製作総指揮:クリスティ・マコスコ・クリーガー、クロエ・ジャオ ローリー・ボーグ
原作:マギー・オファーレル
脚本:クロエ・ジャオ、マギー・オファーレル
撮影:ウカシュ・ジャル
美術:フィオナ・クロンビー
衣装:マウゴシャ・トゥルジャンスカ
編集:クロエ・ジャオ、アフォンソ・ゴンサウベス
音楽:マックス・リヒター
キャスト:ジェシー・バックリー、ポール・メスカル、エミリー・ワトソン、ジョー・アルウィン、デビッド・ウィルモット、ボディ・レイ・ブレスナック、オリビア・ライン、ジャコビ・ジュプ、ノア・ジュプ
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写真引用(C)2025 FOCUS FEATURES LLC.
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