mixiユーザー(id:3912568)

2026年04月09日20:56

54 view

「落下音」マーシャ・シリンスキ〜死のイメージが溢れている霊的な映画〜

この映画は予告編の少女の視線にやられた。見る者を放さないその眼差し。カメラに向けられたその視線は誰を見ているのだろう?黒いワンピースの金髪の髪の少女、その鋭い眼差しに射すくめられて、映画館に足を運んだ。
<ネタバレありで書きます。観てから読んでください。>



映画は少女エリカが松葉杖で左足を失ったかのように廊下を歩く場面から始まる。しかし、その左足は紐で自ら縛ったもので、彼女は左足を失った伯父を真似てみただけなのだった。スカートをまくり上げ、紐で縛られた足を見てギョッとする。片足を切断して寝ている伯父フリッツの失われた足の傷を少女は見て、局部近くの伯父の臍に指を入れてそっと舐める。フリッツへの性的な思いが描かれる。この映画は生々しく身体的である。失われた足、臍、親指と人差し指の間の手を囓る仕草、ウナギに手を囓らせる場面、老婆と少女が手をつねり合う動作。あるいは死んだ少女の口に入っていく蠅、さらに写真撮影のために死んだリアの瞼を糸で縫って目を開かせて家族写真を撮る場面もある。肉体は死んでも生々しい。死んだアルマも死後写真を撮ったのだろう。手足は力なく投げ出されている。また、肉体に注がれる性的な視線と光の反射。さらに映画では、覗くような視線が何度も繰り返される。2階の部屋の窓から、なかなか豚を小屋に入れなかったエリカが殴られるのを見つめる伯父の視線。女中にイタズラを仕掛けた子供たちが、ガラス戸の向こうから隠れて覗く視線。そしてドアの鍵穴から祭壇で吐きそうになる母の様子を伺う少女アルマの視線。フリッツを覗く少女たちの視線。カメラはそれぞれの視線を映像化していくが、たびたび視線は浮遊する。これは誰の視線なのか?カメラは不在の者の視線のように、人々を間を彷徨い、宙に上がっていって2階の窓へと入り込む場面もある。その浮遊するカメラの視線は、誰でもない霊的な存在の視線のようである。きっと予告編でも使われた少女アルマは霊的な存在(死んだ姉のアルマ?)の視線を見つめ返していたのだろう。

この映画は、死者たちの眼差しに満ちた霊的な映画である。ある北ドイツの農村の一軒家の生の世界の中で、4つの時代がランダムに時間が行き来しながら描かれていくが、死が至る所に顔を覗かせる。少女の死の妄想であったり、イタズラであったり、川だったり、納屋の落下だったり、納屋の扉の出入り口だったり、霊的な写真であったりするが、日常の至るところに死への入り口が示され、少女たちを呼び寄せている。少女たちのサンダルを固定するイタズラによって、倒れて動かなくなった女中は一瞬死んだかのようであり、ロベール・ブレッソンの『少女ムシェット』のラストのように、ネリーが川へとゴロゴロと体を回しながらポチャンと落ちていくイメージもある。戦争から逃れ「労災」に見せかけるためにフリッツを納屋の2階から突き落とす両親も恐ろしい。木に登って隠れていて降りられなくなったアルマを夜になるまでほおっておく姉たち。戦争が終わるとロシア兵に襲われると川へと入水していく女たち。イルムは川の中のウナギに囓られて引き返して助かった。また、隣の農家に出されたリアの馬車の上からの落下。レンカが川の中からカヤが浮かんでこないで溺れたかのように思ったり、アンゲリカが麦畑で鹿の死体と一緒に寝転んで父親のトラクターに轢き殺されるイメージだったり・・・。写真を撮る最中にいなくなったアンゲリカは、幽霊のようにブレて写真に写ったし、アルマは死んだアルマの死後写真そっくりに椅子に座ってみたりする。そして最後の納屋の上からの少女ネリーの落下。とにかく、死のイメージに全編に溢れている映画だ。

そして抑圧された性的世界が、あちこちに隠され現われる。1910年代は、女中たちは小作人男たちの性の慰みものになっていた。不妊手術までさせられていたらしい。左足を失ったフリッツは、股間を僅かに隠すようにタオルが掛けられている。それを見つめるエリカの視線、女中トゥルーディがフリッツの性的処理をしているのを扉の鍵穴から覗く少女たち。フリッツの呻くような声。そしてマッチョな伯父のウーヴェと姪のアンゲリカの関係。近くの町まで送ってと伯父に迫るアンゲリカ。二人の距離が近づいていくところに、ただならぬ気配が満ちる。いとこのライナーは、アンジェリカと裸足で原野を走って、足の裏を傷だらけにして傷の数を競ったりする。そんな青春を描きつつ、ライナーは気が弱く、仲間たちから「勃起した」とからかいの対象になる。アンゲリカの鏡の前で踊る仕草も少女の性の発露として描かれる。レンカの母親は、家の前で夫の性器に顔を寄せ、温かいと呟く。レンカはカヤと同じアイスクリームを食べようとしたり、カヤのサンダルを履いてみたりもする。

この映画は同じ農家の一軒家の1910年代、1940年代、1980年代、2020年代の4つの時代の家族が描かれている。血のつながりがあり、時間の蓄積がある。死んだアルマと同じ黒いワンピースを着て、死者そっくりに振る舞うアルマ。リアは自ら落下して死に、エリカは伯父への欲望を抱えつつ、戦争とともに川へ入水した。アンゲリカは、伯父との性的関係を持ちつつ、好意を持っていた従兄弟ライナーに伯父とのことを指摘され、川を渡って西側へと消えていった。そしてネリーは、母と姉レンカから置いてきぼりにされ、最後は納屋から落下した。「家」にも「納屋」にも「川」にも数々の死者たちがいる。家の祭壇には死者たちの写真が並んでいるし、死を弔う日の晩餐があり、死んだ後に撮られる死後写真もあった時代だ。死者たちは、それぞれの時代の生者たちとともにいる。そして生者たちを見つめ、死の世界に引きづり込もうとするのかもしれない。そして語られなかった傷があり、抑圧された性がある。そんな死者たちと抑圧された性のトラウマが空間の中を漂っており、ふとした瞬間に顔を出すことを女たちの時間のなかで描いた作品である。タイトルの『落下音』とあるように、少女たちは落下し、異様な音が少女たちを襲う。歴史的な東ドイツの時間のなかで、歪められたさまざまな女性のトラウマ、傷つけられた身体性や視線などが描かれ、映像的な力のあるイメージで綴られている。時代を前後して描かれる人物関係が分かりにくく、2時間35分と長いが、強い映像の喚起力がある。


2025年製作/155分/PG12/ドイツ
原題:In die Sonne schauen(太陽を見る)
英題:SOUND OF FALLING
配給:ギャガ

監督:マーシャ・シリンスキ
製作:マーレン・シュミット、ルーカス・シュミット
製作総指揮:ラッセ・シェルペン
脚本:マーシャ・シリンスキ、ルイーズ・ピーター
撮影:ファビアン・ガンパー
美術:コジマ・フェレンツァー
衣装:サブリナ・クラーマー
編集:エベリン・ラック
音楽:ミヒャエル・フィードラー アイケ・ホーゼンフェルト
キャスト:ハンナ・ヘクト、レア・ドリンダ、レーナ・ウルゼンドフスキー、レニ・ガイゼラー、スザンネ・ベスト、ルイーゼ・ハイヤー、クラウディア・ガイスラー=バーディング、リュカ・プリゾ
写真引用(C)Fabian Gamper - Studio Zentral

0 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年04月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930