mixiユーザー(id:3912568)

2026年03月12日18:32

56 view

「落第はしたけれど」小津安二郎〜同調アクションとカンニング学生たちのコメディ〜

1930年小津安二郎の無声映画。大学を卒業しても就職口がないという深刻な社会状況を背景に、学生生活をエンジョイしている落第生を描いたコメディ作品。現在、東京国立近代美術館フィルムセンターがフィルムを所蔵。

試験地獄と戦っている学生たちは、カンニングをしようとするが失敗する。その夜、高橋(斎藤達雄)は今度こそはと解答を自分のシャツに書いたが、下宿のおばさん(二葉かほる)がそれを洗濯屋に渡してしまう。結局、彼らは落第してしまうが、卒業した連中も職が見つからず学校にまた戻りたいと思うというコメディ。

カンニングをする落第5人組は、挨拶のときに奇妙なステップを踏んで共通のアクションをする。腕を組んでジグザクに足を交差させて歩いてみたり、落第した次の春は、野球の応援団として学生たちに奇妙な身振りで共通のアクションをして、応援の拍手の練習をする。奇妙なデザインの同じ服と帽子というのも笑える。この挨拶代わりの奇妙な共通のアクションは、同じ年に製作されている『朗らかに歩め』(1930)でも同じように使われている。宴会芸のような仲間同士の共通のアクション。小津が気に入っていたのだろう。当時のアメリカ映画、ハロルド・ロイドの『ロイドの人気者』の影響だと言われている。

下宿の向かいの喫茶店のメイド・田中絹代に、勉強中にパンを配達してもらうために、障子に影で「パン」という文字を穴の開いた帽子や足で作って作って見せるというのも笑える。田中絹代と学生の斎藤達雄は相思相愛。田中絹代は彼のためにネクタイをプレゼントするが、落第した彼は「ネクタイを着ける資格は僕にはない」と告白するが、田中絹代は「知ってたわ」と言う。卒業した学生の方が就職が見つからないので金もなく、「学生に戻りたい」と下宿でボヤき、落第生の方が親の仕送りもあって学生生活をエンジョイしていて楽しそう。及第生に若き笠智衆が小津映画に実質的に初出演。


1930年製作/日本/64分
製作会社 松竹蒲田撮影所
配給 松竹キネマ

監督・原案:小津安二郎
脚本:伏見晁
撮影・編集:茂原英雄
舞台設計:脇田世根一、小川二郎
配光:中島利光
衣裳:鈴木文次郎
キャスト:斎藤達雄、田中絹代、二葉かほる、青木富夫、若林広雄、大国一郎、横尾泥海男、関時男、三倉博、横山五郎、月田一郎、笠智衆、山田房生、里見健児
☆☆☆3
写真引用コピーライト1930 松竹株式会社

◆『大学は出たけれど』(1929)小津安二郎

こちらは『落第はしたけれど』よりも一年前に作られた無声映画だが、現在11分しかフィルムが現存していない。その11分だけ見たので、簡単に内容を書いておく。就職率30%という大不況にあった昭和初期。就職に苦闘する青年・高田稔と、田舎から「就職した」という嘘の電報を受け取って上京した母(鈴木歌子)と婚約者の田中絹代。なかなか就職したのが嘘だったと言えない青年は、家を出てから公園で子どもたちと遊んだりしている。就職面接で「受付なら仕事はある」と言われ、「大学まで出たのに受付なんて」とプライドが邪魔して青年は仕事を断わった。しかし、就職先はなかなか見つからない。母が帰郷して、婚約者に本当のことを言った青年たが、田中絹代は生活のためにカフェで女給を始める。そんな女給をしている婚約者を偶然見て、「受付でもなんでもいい」と心を入れ替えて再び断わった会社へ行くと、「君も大分苦労したようだね。受付ではなく、社員として雇うよ」と言ってもらえ、翌朝、夫の初出勤の電車を鉄橋から見送った婚約者だった。

本作は原作者で小津の盟友の清水宏が監督する予定で企画が進められていたが、小津が監督することになったそうだ。

製作1929年/日本/70分(現存11分)
製作会社 松竹蒲田撮影所
配給 松竹キネマ

監督:小津安二郎
脚本:荒牧芳郎
原作:清水宏
撮影:茂原英雄
キャスト:高田稔、田中絹代、鈴木歌子、大山健二、日守新一、木村健児、坂本武、飯田蝶子
4 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年03月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031