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2026年02月25日22:03

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「センチメンタル・バリュー」ヨアキム・トリアー〜「家」と「演じること」をめぐる物語〜

2025年・第78回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。等身大の女性の迷いと彷徨を描いた『私は最悪。』(2021)のヨアキム・トリアー監督のノルウェーのオスロを舞台にした父と娘の葛藤の映画。『私は最悪。』にも主演していたレナーテ・レインスベが主演でノーラを演じている。

ノーラは幼い頃、家族が住んでいる「家」を擬人化して作文を書いた。赤い窓枠と柱が特徴の大きな古い家をカメラは丁寧に映し出す。壁には亀裂もある。二人の姉妹が学校に行くのを見送り、住んでいる家族の存在を感じながら立つ「家」。家の中では夫婦喧嘩が絶えなかったが、ノーラが7歳ぐらいの時に父は出ていき、「家」は父の重さを失った。この映画は「家」の物語だ。何世代もの家族が住む「家」を主役にしたロバート・ゼメキス『HERE 時を越えて』(2024)という映画もあった。この「家」には、父の母(祖母)が反ナチズム闘争に参加し、拷問にかけられつつも生き残り、家族を築き、男の子も産んだが、首つり自殺をした痛ましい過去がある。そして父の不在だけではなく、セラビストの母の病気、そして死を経て、母もまた不在となる。映画では母は描かれない。祖母の死とともに母の死を経て、再び「家」に母の葬式後の集まりに父が戻ってくるところから物語は始まるのだ。過去からの「死の気配」とともある「家」。ノーラは、1階の暖炉とつながっている2階の換気口から、1階の母のセラピー仕事の声をこっそり聴いていた。そして父が母の死をキッカケに戻ってきた時も、2階の換気口から1階で話す父の声を聴くのだ。ノーラにとって父と母の存在は、自分たち姉妹を守ってくれるものとしてであるのではなく、喧嘩している声を隣の部屋で聴いたり、盗み聞きする「声」としてあるだけなのだった。

ノーラ(レナーテ・レインスベ)はオスロで活躍する舞台女優なのだが、舞台が始まる直前に、舞台裏でパニックになっている場面が最初の方で描かれる。この映画は「家」の物語であると同時に「演じること」をめぐる物語だ。ジョン・カサヴェテスの『オープニング・ナイト』(1977)を思い出す。舞台に上がれない不安。ノーラは舞台に立つ直前に不安に襲われるパニック障害を起こす。開演直前に舞台裏で右往左往し、共演者に平手打ちをしてもらってやっと舞台に出ていく覚悟を決める。精神的不安やトラウマを抱えている女性なのだ。

父グスタフ・ボルグ(ステラン・スカルスガルド)は有名な映画監督で、娘のために書いた脚本を持って、次の新作に出てくれとノーラに話をする。父が幼い頃に死んだ母(祖母)の若い頃の物語らしいのだが、母の不在で苦しんだ自分自身の闇とともに、娘と向き合えなかった反省を込めて、ノーラのことを書いた脚本でもあるらしい。しかも父が出て行き、ノーラたちが暮らしたあの「家」で撮影すると言う。父と娘の闇と再生、そして「居場所としての家」を求める物語。しかし、ノーラは今頃ノコノコと戻ってきた父と仕事なんて出来ないと映画出演の話を断わるのだ。

映画イベントで呼ばれたグスタフの過去の映画を観て感動したアメリカの人気女優レイチェル(エル・ファニング)は、憧れのグスタフ監督の映画に出たいと言い出す。砂浜の色とりどりのパラソルの場面は美しい。映画的な夢を感じさせてくれる。グスタフは、新作をノーラの代わりにレイチェルを主演に決め、Netflixの出資も決まり、新作映画のプロジェクトが動き出す。本読みや家の下見。レイチェルはグスタフの希望で金髪の髪を娘のノーラのような髪の色に染める。しかし自殺する不安を抱えた女の役作りに悩むレイチェルは、次第にこの役は自分ではないと感じるようになる。そして役を降りる決断を下す。

家庭で父の不在のなかでノーラは妹アグネス(インガ・イブスドッテル・リッレオース)を守りながら必死で生きてきた。妹は父の映画に小さい頃に出た経験がある。同じようにアグネスの息子も今回の作品に出そうと父は言い出す。息子の出演のことでグスタフと衝突する妹のアグネス。そして父からもらった脚本を初めて読んで感動する。そしてノーラに脚本を読むことを勧める。「ノーラのための映画だから・・・」と言うのだった。脚本には父が知らないはずのノーラが自殺しようとした苦しみが描かれているのだった。ノーラはパートナーを見つけることも出来ずに、精神的な不安をいつも抱えている。それなのにどうして妹のアグネスは、夫もいて子供もいる幸せな家族を築けたのか?ノーラはアグネスに「どうしてこんな差があるの?二人の間で何が違うの?」と尋ねる。アグネスは、「私には姉がいた。私の髪を梳かしてくれて、不安な私をなだめ、支えてくれた姉がいた」と語る。

ノーラと父グスタフの言い争いの後で、ノーラが泣いているシーンがある。観客はてっきり父に言い過ぎた自分を悔やんでの涙だろうと思って見ていると、それはノーラの舞台の上の泣いている芝居だったりする。ラスト、学校に行く息子を見送る女性(ノーラ)が、部屋で自殺をしようと紐と椅子を用意していると、息子が忘れ物を取りに戻って来る。これも現実のシーンかと思って見ていると、グスタフの新作映画のセットでの撮影であることが分かる。「演じること」と映画の中で「演じること」が重なりあい、「家」とセットが重なりあう。現実とフィクションは、いつでも重なりあう。現実もまた「演じること」の積み重ねだからだ。父の映画で「演じること」を通じて、やっと父と娘の会話が始まった。二人はそこで初めて目線を合わせ、お互いの存在を確認し合う。「声」としての存在ではなく、目の前にいる存在として。

「家」という「居場所」を作ることの難しさ。他者の前で「演じる」ことによって、初めて人は舞台に立つことができ、他者と関係をもつことができるのかもしれない。

最後に本作とイングマール・ベルイマンの『仮面/ペルソナ』の重なりについて追記しておく。本作の父グスタフは、スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンがモデルとも言われている。当然、『仮面/ペルソナ』へのオマージュとも取れるとろこがある。そもそもノーラが舞台恐怖症という設定も、『仮面/ペルソナ』の舞台で声が出なくなった女優エリザベート(リブ・ウルマン)と重なるものだ。この映画は、看護師アルマ(ビビ・アンデショーン)と失語症の女優エリザベートの二人の海辺の別荘での療養生活が描かれている。二人の心は重なり合い、仮面を被って演じ続けたエリザベートと、その仮面の下の心の姿としてのアルマのような二重性が見えてくる。本作でも、ノーラにグスタフが当て書きした役を女優レイチェル(エル・ファニング)が演じ、髪の色も染めて二人が重なっていく。さらにラストでアグネスの息子が映画に出ることになって、息子の母を演じるノーラとアグネスも重なっていく。父親グスタフとノーラの顔が重なるシーンもあり、グスタフが描こうとした母親像の中に、ノーラ、アグネス、レイチェルの3人の女性が重なっていく物語でもあるのだ。なんだか3人の女性は似て見えてくる。「演じること」の虚と実の重なりが描かれているのだ。


2025年製作/133分/G/ノルウェー・フランス・デンマーク・ドイツ合作
原題または英題:Affeksjonsverdi
配給:ギャガ

監督:ヨアキム・トリアー
脚本:ヨアキム・トリアー、エスキル・フォクト
製作:マリア・エケルホフド、アンドレア・ベレントセン・オットマール
製作総指揮:レナーテ・レインスベ、ステラン・スカルスガルド、エスキル・フォクト、ヨアキム・トリアー
撮影:キャスパー・トゥクセン・アンドレセン
美術:ヨルゲン・スタンゲビー・ラーセン
衣装:エレン・ダーリ・イステヘーデ
編集:オリビエ・ブッゲ・クエット
音楽:ハニャ・ラニ
キャスト:レナーテ・レインスベ、ステラン・スカルスガルド、インガ・イブスドッテル・リッレオース、エル・ファニング、アンデルシュ・ダニエルセン・リー
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画像引用(C)2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE
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