mixiユーザー(id:3912568)

2026年02月19日13:21

57 view

「小川のほとりで」ホン・サンス〜間合いや言い淀みや余白を描く〜

ホン・サンス監督30周年記念として、2023年以降につくられた新作5本を5カ月連続で公開する「月刊ホン・サンス」シリーズとして『旅人の必需品』(2024)に続いて公開されたのが本作『小川のほとりで』(2024)。日本では2025年12月に公開され、札幌でも公開となったので劇場鑑賞。ホン・サンスの公私にわたるパートナーであるキム・ミニが主演。キム・ミニは『正しい日、間違えた日』(2015)、『夜の浜辺でひとり』(2017)、『クレアのカメラ』(2017)、『逃げた女』(2020)など一連の映画に出ているホン・サンスのミューズである。

ホン・サンスお得意のワンシーン・ワンカットの長回し。カメラは固定で、わずかにパンやズームを使う。しかも今作は特に会話劇の中でも本来なら編集でカットするような間合いがそのまま使われ演じられている。ソウルの女子大で講師として働くテキスタイルアーティストのジョニム(キム・ミニ)の依頼で有名俳優でもあった叔父のシオン(クォン・ヘヒョ)が大学にやって来て、演劇祭の寸劇の演出をすることになる。その出会いのシーンの後、ジョニムが世話になっているチョン・ウンニョル教授(チョ・ユニ)の部屋に挨拶に行く場面がある。チョン・ウンニョル教授は、もともとシオンのファンだったらしく、「美味しいウナギでも食べに行きましょう」と食事に誘い、「仕事終わらせるまで5分待って」と仕事を片付ける。教授と部屋で待つジョムニとシオン。二人が手持ち無沙汰で待っている様子が長々とそのまま使われている。本来ならカットしてもいいような間合いがこの映画の持ち味なのだ。酒を酌み交わし、食事をするシーンがこの映画の主要シーンであり何回もあるが、そのなかで人々は何度も「乾杯」とグラスを合わせる。間合いを埋めるかのような「乾杯」の仕草の反復。あるいは、沈黙や言い淀み、間合いが何度も描かれる。編集で間合いをカットするようなことはしない。それは日本の恋愛映画のスペシャリスト、今泉力哉監督とも近い演出法だ。現在放映中のテレビドラマ『冬のなんかさ、春のなんかね』の中でも、そんな間合いや言い淀みがドラマの中で使われている。今泉の映画でもしばしば用いられる演出法であり、会話の内容が全てではなく、その間合いや仕草を重視するものだ。それは小津安二郎の映画にも通じるところである。

いつも夜のシーンの最後には月が映り(欠けている月が満ちていく)、朝には小川のほとりでスケッチするジョニムが日替わりのカットのように何度も映し出される。シオンはかつて同じ女子大で寸劇を演出したことがあり、そのときに初恋の相手を傷つけた思い出を語る場面がある。同じように寸劇の演出を担当していたシオンの前任の男が女子学生と3股で付き合い、3人の女子学生が寸劇を止めたことで、ジョニムが演出担当の男をクビにしたのがシオンを呼んだ発端だった。しかし、男は悪びれず、そのうちのひとりの女性に結婚を申し込む展開となる。寸劇を演じる女子学生を演出する男が傷つけながら恋をすることが、かつてのシオンと同じように反復されている。人生の反復とズレこそがホン・サンスの共通したテーマである。この映画でも人生は繰り返され、それぞれがそれぞれの人生を進む。寸劇を終えた女子学生たちが、打ち上げの宴の席でそれぞれが「どんな人になりたいか」を即興詩のように語る場面がいい。迷いながら、言葉に詰まりながら、それぞれが言葉を選び、それぞれの道を進もうと話をする。この映画はいつも川が映し出され、近くを流れており、川の音が強調され、ジョニムもまた川をイメージしてテキスタイルアートを制作している。言うまでもなく川とは人生そのものであり、その人生を見つめようとしているのが本作であるのは間違いない。

最後に3人でウナギを食べて、川原へタバコを吸いに降りてきて、一人ジョニムが何かを気にしてどこかに行く。姿が見えなくなって、シオン叔父さんが何度も彼女の名前を呼ぶと、彼女は何でもないわといったように戻って来るところで映画は終わる。その行動が何を意味していたのかは、映画は何も描かない。人には意味もない行動もあれば、他人には分からないこともある。3股しながらもプロポーズした彼と彼女がどうなったかも映画は描かない。大学の総長がシオン叔父さんが演出した寸劇に、どんな文句を言ったのかも詳しくは描かない。総長はなんとなく寸劇の「政治的な意図」を嗅ぎ取って気に入らなかったのだろうと想像するばかりだ。なにしろジョニムの母親から「お前はアカだ」と決めつけられたようなシオン叔父さんなのだから。

寸劇の舞台で客席に後ろを向けて座る学生がいる。同じようにジョニムもまた打ち上げの席でカメラに後ろ向きで顔が見えない席に座る。映画ではしばしばカメラを囲むように、人物が後ろ向きにならないように登場人物をテーブルに座らせることが多い。それをホン・サンスはあえて後ろ向きに座らせている。カメラに顔が見えなくても伝わることを描こうとしている。大学のキャンパスで夜に3人の女子学生とジョニムが話す場面はシルエットで誰が喋っているのかもよくわからない。カメラもわかるように顔に寄らない。シオンと演出の前任の男が、その横で何を語り合ったのかも描かない。写すことと写さないことをホン・サンスは計算高く選んでいる。教授の家の月が見える2階のベランダも写さないし、二人のラブシーンも描かない。描くところと描かないところ、写すところと写さないところ。それを巧みに使い分けて描く面白さ。

さらに本作ではジョニムの神秘的な体験話も語られる。ストレスで目から血が出て包帯をしていたときに見たという「青空」。それから彼女の運が開けたという不思議な体験。見えないことから、新たに見えてくる世界。見えなくても想像すること。映らなくても分かってくること。人生は全てが分かるわけではないし、分からないことがたくさんある。そんな含みをあえてハッキリさせずに描き、人生の余白や間合いを感じさせてくれるのが、ホン・サンスの映画というわけだ。

反復される日常の中から、それぞれのズレがあり、人生のドラマが生まれていく。小津安二郎も、エリック・ロメールも、ホン・サンスも反復とズレの映画作家たちである。同じようなスタイルの映画を撮り続けながら、その反復性とその中に垣間見えるズレから、人間のドラマを生み出してきた。そのズレこそが、面白さであり、人生なのだろう。


2024年製作/111分/G/韓国
原題または英題:By the Stream
配給:ミモザフィルムズ

監督・製作・脚本・撮影・編集・音楽:ホン・サンス
キャスト:キム・ミニ、クォン・ヘヒョ、チョ・ユニ、ハ・ソングク、パク・ミソ、カン・ソイ、パク・ハンビットナラ、オ・ユンス、イ・ギョンミン、ハン・ヌリ、キム・スンジン
☆☆☆☆4
写真引用(C)2024Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
2 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年02月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728