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2026年01月31日12:56

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「自由が丘で」ホン・サンス〜映画的な時間の企み〜

ホン・サンス監督30周年記念として、2023年以降につくられた新作5本を5カ月連続で公開する「月刊ホン・サンス」と、新作にリンクしたテーマで過去作を振り返る特集「別冊ホン・サンス」を同時に劇場公開しており、見逃していた2014年の『自由が丘で』を劇場で観た。それにしてもホン・サンスは凄いペースで映画を撮り続けている。1996年の長編デビュー作『豚が井戸に落ちた日』から30年。これまで30本以上の監督作を発表し、近年はさらなるハイペースで自身のフィルモグラフィを更新し続けている。

映像の美しさや光と影、カメラアングルや照明、美術に特別なこだわりがあるように思えないホン・サンス。映画もほとんど90分以内の短さであり、安易とも言える撮影技法、ズーム・インやズーム・アウト、パンなどカメラ位置をあまり変えず、カット数も少なく、役者たちの演技中心にシチュエーションを決めて長回しで撮影していく方法で映画を制作している。だから撮影日数も少なく、1本の製作費もそれほどかけているとは思えない。それでもこれだけ世界的に認められ、多くのファンを持つ映画監督であるのはなぜか。いつも同じようなパターンでありながら、その独特のスタイルと構成で人間をユーモラスに、時にはダメさや弱さもなどを鋭く切り取り、関係によって微妙に変化していく心の揺れを見事に捉えているからだと思う。人は関係によって変わる。同じようなシチュエーションでも、ちょっとしたことで違う物語が生まれていく。人生には変わらぬ確かなものなどないのだ。『正しい日 間違えた日』(2015)では、同じ一日を二人の関係ややり取りの違いによってどう変わっていくか。別の表現で一日を反復して描いていた。『3人のアンヌ』(2012)では、同じ海辺の空間と同じ女優(イザベル・ユペール)を使って3人のアンヌの物語を作った。『イントロダクション』(2020)は、タイトル通り「さわり」の部分のみ、3つのエピソード構成で、物語にもならない<断片>が描かれる。そう、ホン・サンスは時間と空間の断片にこだわるのだ。大きな物語は作らない。波瀾万丈の人生も、スリルとサスペンスのアクションも、劇的な生と死が描かれるわけでもない。ちょっとした人生の断片が描かれるだけだ。それでもその断片の中に、人間の弱さや曖昧さ、不確かさや揺れが見事に描かれているのだ。

前置きが長くなってしまったが、本作は加瀬亮主演で、タイトルに『自由が丘で』とあるので、私はてっきり日本でロケしたのかと思って見始めたのだが、韓国のソウルの「自由が丘8丁目」という日本名カフェが舞台になっているだけである。日本人のモリ(加瀬亮)は、かつての恋人クォン(ソ・ヨンファ)を訪ねて韓国にやっってくる。彼女に会えるかどうかも分からないまま、彼はソウルに来たのだ。しかし、クォンは部屋にいなくて、行方知れず。彼女の帰りをゲストハウスで待ちつつ、まわりの人たちとの交流やカフェ「自由が丘」の女性店員ヨンソン(ムン・ソリ)と親しくなっていく時間が描かれる。加瀬亮の会話はみんな英語。それに地元の人たちの韓国語の会話が入る。

この映画のテーマは「時間」である。加瀬亮は「時間」に関する本をいつも持ち歩いており、読んでいる。いろいろな人からその本の内容を聞かれるのだ。加瀬亮は説明する。「時間」は人間の身体や物体と違って、人間の脳が作り出した概念に過ぎなくて、過去・現在・未来とつながっているように考えてしまうけれど、必ずしもその流れに沿って人生を体験する必要はないと思う。とは言え、人間はこの時間の概念から逃れられない・・・というようなことを言う。時間の流れが人生そのものではなく、それぞれの時間の流れがあり、その断片の積み重ねがあるだけだということをこの映画は描いている。加瀬亮が恋人のクォンに書いた手紙を、クォンが立ちくらみによって階段で落としてしまい、バラバラに拾い集める。それで手紙は前後が入れ替わってしまうのだ。加瀬亮が恋人を待っている間に起きた出来事を書いた手紙を、クォンは時間を前後して読むことになる。その入れ替わった時間が映画では描かれる。「自由が丘8丁目」の女性の犬が見つかって加瀬亮に感謝して一緒に食事に行くシーンがあり、その後に犬を見つけるシーンがあるという風に、時系列がぐちゃぐちゃなのだ。最初、その物語の前後の混乱に戸惑うのだが、それがこの映画の企みであることが分かってくる。

そもそも映画というのは、過去のエピソードを後から回想のように提示したり、時間を自在に組み立てることが容易な表現形態だ。リアルな時間を編集し短縮させたり、別々の時空間を交互に描いて同時に起きているように見せたり、入れ替え前後させたり、意図的につなぐことによって「映画的な時間」を生み出している。一方向に流れるリアルな時間に縛られる必要はない。時間を再構成するのが映画なのだ。この映画は、クォンが手紙を読む時間の流れに沿って、加瀬亮に起きた出来事が再構成される奇妙さを観客もまた味わう。加瀬亮がヨンソンの恋人である傲慢なプロデューサーのことを悪く言うシーンがあって、そのプロデューサーと店で出会うシーンが後で描かれる。過去の出来事を思い返すとき、われわれもまた自在に時間を入れ替えて思い浮かべることはあるはずだ。

そしてやっとクォン(ソ・ヨンファ)とモリ(加瀬亮)が会うシーンがある。モリがちょうど日本へ帰国しようとしていたタイミングで手紙を受け取って読み終えたクォンはゲストハウスにやって来る。翌朝、二人は一緒に日本に旅立って、その後、家庭を持ち、2人の子供を作るというようなハッピーエンドが語られて終わる・・・かと思ったら、最後にゲストハウスの前庭で、モリが眠りから覚めるシーンがある。部屋にはヨンソン(ムン・ソリ)がいて、前の晩に酔っ払って部屋で寝てしまい、モリは気を遣って前庭のテーブルで寝て目覚めるシーンだ。恐らく犬の御礼に初めて二人が飲みに行った次の朝のシーンだろう。しかし、クォンが手紙を読み終えて再会したと思われたシーンの後に、このモリの眠りのシーンがあることで、どこまでが夢でどこまでが現実だったか、観客は分からなくなる。本当にモリはクォンと出会えて日本に行ったのか?モリの束の間の夢だったのではないか?おそらく、最後のエピソードはクォンが拾い損ねた手紙の一枚なのだろう。ホン・サンスの企みによって、観客は時間の迷宮に入り込んで終わるのだ。まさに路地裏で迷子になったような感じだ。クォンの手紙を読む時間の流れとクォンの内的時間。読まなかったエピソードや眠っていたモリの内的時間。それらを編集によって巧みに混乱させた「映画的な時間」を楽しむことがこの映画の魅力なのだと思う。

加瀬亮は、ゲストハウスの女主人(ユン・ヨジョン)に、好きな花を見ていると、花と一つになったような気持ちになり、自分も世界も時間さえも消えてしまうと語っていた。個人の内的時間は、客観的に流れている一定の時間とは別のものだ。この映画は、夢と現実、書かれたものと読むことのズレ、フィクションと実際に起きた出来事、他者との時間のズレ、そんな曖昧な境界をわれわれは生きていることを、「映画的な時間」の企みのなかで描くホン・サンスの魔法なのだと思う。


2014年製作/67分/韓国
原題または英題:Hill of Freedom
配給:ビターズ・エンド

監督・脚本:ホン・サンス
撮影:パク・ホンニョル
編集:ハム・ソンウォン
音楽:チョン・ヨンジン
キャスト:加瀬亮、ムン・ソリ、ソ・ヨンファ、キム・ウィソン、チョン・ウンチェ、ユン・ヨジョン、イ・ミヌ
☆☆☆☆4
写真引用(C)2014 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
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